FC今治が持つ底知れぬ魅力──。元日本代表、橋本英郎はなぜJFLの舞台を新天地に選んだのか

2019年01月30日 橋本英郎

簡単に言えば、「Jリーガー」いう肩書きがなくなる

元日本代表コンビが今治の地で再会! 橋本(右)は駒野(左)との2ショット写真を提供してくれた。

 新シーズンに向けて各チームが始動しましたね。

 僕のほうは昨シーズンまで2年間所属していた東京ヴェルディから、JFLのFC今治に移籍しました。今回はなぜ移籍するに至ったのか、その経緯と僕の気持ちの部分を書かせてもらおうと思います。

 まず第一に、移籍にまつわる話はオープンにできない内容が多々あります。例えば、あるチームが橋本英郎を補強したいと考える。でも、本当の第1候補はJ1の選手で、獲得オファーを出して返事を待っているところ──など。「その選手がオファーを断ったら、あなたに正式なオファーを出します」といったこともあります。いわゆる保険扱いですね。

 年齢を重ねるにつれて、僕の場合はそうした扱いが増えてきたなと感じています。譬え話で紹介できるものもありますが、まだそこは僕も現役の当事者なので、割愛させていただきます。

 
 さて、ここからが本題です。

 なにより昨年末、最初に話をいただいたのがFC今治でした。代理人の方から話が来ていることを教えてもらったとき、「来年も選手を続けられる!」と思ったのが、一番最初に沸いてきた感情でした。

 今年僕は、40歳になります。去年はヴェルディではほとんど試合に出られませんでしたし、不完全燃焼のままシーズンを終えていたので、なんとかプレーを続けたかった。なのでホッとした気持ちにもなりました。

 次に芽生えた感情は、実質4部リーグのJFLでプレーするにあたって、それをどう考えるかでした。

 AC長野パルセイロでは3部リーグ(J3)を経験しました。3部とはいえ、そこはJリーグのくくりの中。JFLはくくりの外の存在です。簡単に言えば、「Jリーガー」いう肩書きもなくなります。JFLのクラブではセミプロの選手、アマチュアでプレーしている選手も数多く在籍している。その世界に足を踏み入れることに、少なからず抵抗を感じました。

 加えて、環境やスケジュールの過酷さ。これまでで練習環境や食事の面など、ある程度はサポート体制が整っているチームでプレーしてきました。

 また、JFLのアウェーゲームはJリーグよりも一段と遠い場所にある場合が多い。移動もバスが多くなるはずですし、青森のチームだとヴェルディなら羽田から直行で行けますが、今治だと乗り継ぎをしないといけないなど、そうしたものとの戦いもあるなと思いました。

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