【イラン戦検証】なぜ相手は転がるボールより主審へのアピールを優先したのか? 勝負を分けた選手個々の成熟の違い|アジア杯

2019年01月29日 加部 究

イランは個々の対決や駆け引きに焦点が傾き、古典的な欧州志向で歴史を刻んできた

イランはたびたび主審への異議やアピールで自らのペースを崩していき、終盤にはラフプレーも目についた。写真:茂木あきら(サッカーダイジェスト写真部)

 大陸内のライバル国側の見地に立てば、落胆の結果だったかもしれない。確かにイランの解説者が表現した通り、日本は「アジアのドイツ」のような存在に近づいている。

 20世紀後半の西ドイツは、今回のイラン戦に近い下馬評を何度も覆してきた。象徴的なのがヨハン・クライフを中心に快進撃を続けるオランダを決勝戦で逆転した1974年地元開催のワールドカップ。また1986年メキシコ大会準決勝でも、当時欧州王者でミッシェル・プラティニを軸に黄金期を満喫中のフランスを2-0で完封した。もっとも、そんなドイツにも目の上のたん瘤があり、ワールドカップでは一度もイタリアに勝てていない。ただしアジア内で日本にとって、そういう国は見当たらない。

 現実にJリーグ創設以降、日本の勝負強さは際立っている。1993年に土壇場でワールドカップ出場を逃す「ドーハの悲劇」があったが、次のフランス大会予選では崖っぷちから出場切符を掴み取り、以後ワールドカップには途切れなく出場を継続中。アジアカップも、92年大会以降は7回中4度の優勝を飾っている。ブラジルやドイツのワールドカップに対する国民感情に似て、日本の多くのファンもアジアで勝つのは当たり前だと考えるようになっているに違いない。

 サッカー文化の熟成度を比較すれば、日本はイランに大きく先行され、ワールドカップ出場も20年遅れた。しかし反面、これまで日本は3度もグループリーグを突破したのに、イランは出場した5大会すべて3試合で帰国している。勝点4を獲得した昨年のロシア大会は過去最高の成績で、さらに研磨したアジアカップには、まさに集大成とも言うべき自信作を出展したはずだった。

 とりわけ世界に出た時の日本とイラン――、アジア内では拮抗したはずの両国の明暗を分けているのは足跡の違いだ。概して身体資質を比べれば、イランに分がある。実際に今回のアズムンやジャハンバフシュ、あるいは過去のアリ・ダエイなどのように、欧州シーンでも輝かしい結果を残すストライカーも輩出している。しかしフィジカルに自信を持つイランは、個々の対決や駆け引きに焦点が傾き、どちらかと言えば古典的な欧州志向で歴史を刻んでいる。準決勝でも組織的な崩しは皆無で、力任せのロングフィードばかりが目立った。
 

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