負ければゴミ扱いの世界で抱く夢――“神様”に憧れた日本の少年がアルゼンチンでプロになるまで【後編】

2019年01月31日 チヅル・デ・ガルシア

「どんなに下のカテゴリーでも簡単じゃない」

晴天のスタジアムでニッコリと笑顔を浮かべる後藤。その屈託のない笑顔の裏で、彼は多くの苦労を重ねてきた。 (C) Javier Garcia MARTINO

 幼少期にアルゼンチンの人気歌手ロドリーゴが歌ったディエゴ・マラドーナの人生を描いた賛歌「La Mano de Dios」がBGMになったビデオを見て以来、アルゼンチン・サッカーの虜となった後藤航(こう)。

 それからアルゼンチンでプロになることを決意するも、後藤はピッチ内外での様々な問題とぶつかる。それでも「ここでプロになりたい」という強き思いを胸に抱いた彼は、代理人もつけずにチャンスを切り開いていくのだった。

前編はこちら

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 代理人をつけず、自力でいくつかのクラブの門を叩き続けた結果、2部リーグのデポルティーボ・リエストラの4軍でプレーできるチャンスを得て入団した。だが、3か月後にヘルニアを患い、無念の帰国を余儀なくされた。

 それでも、後藤は諦めなかった。ヘルニア治療後、パーソナルトレーナーの竹田和正氏の指導の下でトレーニングを重ねながら、アルバイトで資金を貯めた。もちろん、もう一度、アルゼンチンに戻るためだ。

「竹田さんのおかげで万全のコンディションを取り戻すことができたので、4か月後には、また戻っていました。まずはリブレス(※無所属の選手が集まるクラブ)で練習に参加しながら、日本食レストランでアルバイトをしていたんです」

 そして、後藤のプレーが代理人の目に留まる。

「ある代理人から、コルドバ州の地域リーグでプレーしないか? と誘われたんです。それで、デフェンソーレス・サン・アントニオ・デ・リティンというローカルクラブのトップチームに入ってプレーしました。

地域リーグなので、1シーズンは3か月間くらいで、その後、今度は5部リーグにあたるラシン・デ・マダリアガのトップチームでプレーして、去年の7月から、今のアルミランテ・ブラウンにいます」

 その経歴だけを語ってもらうと、3部リーグのプロ選手になるまで、全てが順調に進んだかのように聞こえるが、現実はそう甘くはなかった。

 ラシンでの1シーズンが終わった後、クラブの資金が底をつき、地方や海外の選手たちは住む場所を失い、後藤も2日間ほど公園で寝なければならなかった。また、下部リーグとはいっても、常にレベルの差を感じていたという。

「地域リーグでは毎試合、退場者が出ていて(笑)。それくらい激しいゲームが展開されるということなんですが、やっぱり思ったのは、どのリーグでも、どんなに下のカテゴリーでも難しいということですね。簡単じゃなかったです。

 地域リーグでやってた時も、『楽だ』と感じたことなんか、一度もありませんでした。常に壁があるんです。それに、下に行けば行くほど、自分でやらなければいけないことも多い。今、所属しているアルミランテ・ブラウンは3部なので、これまでやってきた環境に比べると、恵まれていますね」

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