【選手権】インターハイ予選後に主将就任。流経大柏を準優勝に導いた左部開斗の波乱に満ちた1年

2019年01月15日 松尾祐希(サッカーダイジェストWEB)

シーズン途中に主将となるも自身はBチームで戦う状況に…

卒業後、左部は桐蔭横浜大に進学する。高校3年間の経験を活かし、4年後のプロ入りを目指す。写真:田中研治

[高校選手権・決勝]青森山田 3-1 流経大柏/1月14日/埼玉

 ホイッスルが鳴った瞬間、背番号14は唇を噛んだ。1月14日に行なわれた高校サッカー選手権の決勝で、流経大柏は青森山田に1-3で敗戦。主将としてチームを牽引してきた流経大柏の左部開斗(3年)は、申し訳なさと情けなさが入り混じる複雑な心情を必死にこらえていた。

 やっぱり、一番になりたかった――。

 前回大会の決勝のような想いは味わいたくないと心に誓い、懸命に戦ってきた1年はまたしても2番で終わりを告げた。
 
 昨年はスタンドから声援を送っていた左部は、新チームの発足と同時に激しいレギュラー争いに参戦。だが、定位置は掴めず、時にはBチームでプレーした。そんな左部に転機が訪れたのは、6月のインターハイ予選後。キャプテンを務めていた関川郁万(3年)が負傷の影響でしばしばチームを留守にしていたため、大役を引き継いだのだ。
 
 人望を買われての大抜擢。だが、リーダーは難しい役回りだ。加えてインターハイ出場を4年ぶりに逃した直後に就任したため、チームの雰囲気は最悪。「一人ひとりのモチベーションが整わず、どうすればみんなを同じ目標に向かわせられるのかと。その点はかなり苦労しました」と左部が回想した通り、個性派揃いの集団をまとめる作業は一筋縄ではいかなかった。
 
 自身も夏場はBチームの一員として県リーグ1部を戦うなど思い通りにいかず、心が折れそうになった場面は数えきれない。そうした状況下で左部が大役をまっとうできたのは、様々な経験を積んだからだった。
 
 レギュラーとしてプレーする日もあれば、サブとして陰から仲間を支える。ある時はBチームに入り、県リーグを戦う。様々な役割を担ってきたからこそ、部員の想いや考え方が理解できた。
 
「自分は県リーグで学びました。プレミアリーグ組に入れない悔しさもあるなかで、それでも自分たちはBチームで戦わないといけない。その思いがあるのでトップチームよりもパワフルですし、一団となって戦う意識は僕らに分があった。県リーグで学んだことはトップチームのみんなに伝えられたので、自分にとってはいい経験だったんです」
 

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