【横浜】中澤佑二が現役引退を発表。「自分の決断を信じ、1ミリの後悔もなく」

2019年01月08日 サッカーダイジェスト編集部

ホームでの最終節C大阪戦がラストマッチに

20年間のプロ生活にピリオドを打った中澤。「ボンバー」の愛称で親しまれ、リーグを代表するDFだった。(C)SOCCER DIGEST

 J1の横浜F・マリノスは1月8日、中澤佑二の引退を発表した。20年間の現役生活に終止符を打った中澤は、クラブの公式HPを通じて「自分の中では、プロ20年目となる昨シーズンを一つの区切りとして考え、全てを出し切るという思いで最終戦まで走り続けました。そしてシーズンを終え、改めて自分の思いを整理した中で、やはりこのクラブでユニホームを脱ぎたい、そしてそれが横浜F・マリノスに対して一番の恩返しになるんじゃないかなという思いになりました」とコメントしている。
 
 1999年にヴェルディ川崎(現・東京V)でプロデビュー。28試合・1得点の成績で、同年のJリーグ新人王を獲得した。同クラブには3年間所属し、2002年に横浜に移籍。以後、17シーズンにわたり、トリコロールでプレーし、03、04年のリーグ連覇、13年の天皇杯優勝などに尽力した。
 
 04年にはJリーグMVPを受賞。ベストイレブンには6度(99、03、04、05、08、13年)選出された。J1通算出場593試合は、楢﨑正剛(631試合)、遠藤保仁(602試合)に次ぐ歴代3位。13年から17年まで、5シーズン連続で全34試合に出場。リーグ戦連続出場記録は199試合、連続フル出場記録は178試合という"鉄人"ぶりで、Jリーグを代表するDFとして活躍した。
 
 99年9月のイラン戦でデビューを飾った日本代表では110試合・17得点を記録。翌年のシドニー五輪を経て、アジアカップには三度(00、04、07年)、ワールドカップには二度(06、10年)出場。00、04年のアジアカップ連覇、10年の南アフリカ・ワールドカップでのベスト16進出などに貢献した。
 
「夜は22時に寝て、朝は6時に起きる。飲酒・喫煙はしない」
 
 ストリックに己を律し、一切の妥協を許さず、駆け抜けたプロ20年だった。40歳の誕生日当日に開幕を迎えた昨季の成績は、22試合・1得点。開幕からフル出場を続けていたが、23節の鹿島アントラーズ戦でメンバー外となった以降は、痛めていた左膝の状態が思わしくなく、ピッチから遠ざかっていた。
 
 ホーム日産スタジアムで迎えた最終節のC大阪戦で82分に途中出場し、久々の復帰を果たす。「今日は最後に監督が出してくれて、あらためて、試合っていいなと思った。サポーターの前でプレーできる幸せ、F・マリノスのユニホームを着てプレーする喜びを、たった10分間でしたが、感じることができて良かったし、久しぶりにサッカーの楽しさを味わいました」と振り返るゲームが"ラストマッチ"となった。
 

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