クラブW杯決勝の大一番へ! 超攻撃的DF、塩谷司が持つ異色の才能と“移籍金”エピソード

2018年12月22日 中野和也

2014年には日本代表に選出。3年連続ベストイレブンに輝く

準決勝では同点ゴールをアシストした塩谷。チームの決勝進出に大きく貢献した。(C) Getty Images

 久しぶりに出会った塩谷司は、左腕を吊っていた。左鎖関節脱臼。全治2か月とUAEのドクターには診断されたが「俺は6週間でいけると思うんですよね」と彼は笑った。
 
 再会した日は"昨年の"11月17日。場所はエディオンスタジアム広島だった。塩谷が半年前まで所属していたサンフレッチェ広島は当時、16位。降格圏内から這い上がれずにいた。塩谷は仲間たちの窮状を心配。リハビリと静養のために帰国した機会を利用して練習を見学し、かつてのチームメイトたちを激励に駆け付けたのだ。
 
 塩谷は移籍したアル・アイン(UAE)でサイドバックのポジションを掴み、ケガで離脱するまで7試合・3得点・1アシスト。あまりの爆発力に、試合がなかなか見られない日本では「塩谷はFWに転向した」という説まで飛び出した。彼が広島で見せ付けてきた強烈なシュート力やアイデア、豪快な突破力などを知っている人ほど「塩谷ならあり得る」と信じた。その話をぶつけてみると「一切、FWはやっていない。サイドバックの他は何度かボランチに入った程度です」と笑った。
 
 2012年のシーズン途中に水戸から広島にやってきた時、塩谷はボジション奪取に大きな自信を持っていた。だが、当時の広島は熾烈な優勝争いを演じていた時で水本裕貴、千葉和彦、森脇良太の3バックは鉄板。ロンドン五輪銅メダリストであり韓国代表のファン・ソッコですら崩せない壁だ。戦術理解の問題もあり、試合出場はわずか3試合。優勝を決めたC大阪戦でこそ先発で勝利に貢献できたが、とても満足のいくシーズンではない。
 
 強烈な肉体、スピードもバネも申し分ないし、足もとの技術も確か。才能は明白だった。しかし豪快なスタイルとは裏腹に、繊細な一面を持つ塩谷は、試合に出られない日々の中で悩みに悩み、円形脱毛症にも侵された。
 
 一流とはいつも繊細なものだ。プレーの細部にこだわり、うまくいかない状況を深く突き詰め、考えを深化させる。そういう繊細さなくして成長など覚束ない。
 
 果たして塩谷司の才能は、開花した。翌年、右ストッパーのポジションを掴み、全試合フルタイム出場で連覇に大きく貢献。2014年には日本代表にも選出され、ベストイレブンにはこの年から3年連続で輝いた。
 

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