悩み抜いた末の「浦和移籍」。欧州挑戦を封印した杉本健勇が新たな環境で目指す2年越しの勲章

2018年12月20日 サッカーダイジェストWeb編集部

熟慮を迫られた昨オフ。気持ちは大きく海外に傾いていたが…

浦和への完全移籍が決まった杉本。悩み抜いた末の決断だった。写真:川本 学

 セレッソ大阪の杉本健勇が浦和への完全移籍を決断した。18日に両クラブから正式発表された際、C大阪のクラブ広報を通じて以下のようにコメントした。

「この度、セレッソ大阪を離れる事になりました。帰って来てからの3年間を振り返ると、色々な思いが胸に込み上げてきます。必ずJ1に上げるという気持ちで帰ってきて、それを達成することができ、翌年、チーム史上初のタイトルと二冠を獲る事ができた事は僕の人生の中で一番最高の瞬間で、とても幸せな時間でした。このクラブを離れる事は正直想像していませんでしたが、今回の決断は自分自身の成長の為に不可欠だと信じています。セレッソの一員として戦えた事を本当に誇りに思っていますし、これからもずっと応援しています。今まで本当にありがとうございました!」

 15年に川崎へと完全移籍し、翌年にJ2で戦っていたC大阪に完全移籍で復帰。買い戻してもらった恩義に応えるため、当時、自らの使命としていたのがJ1復帰だった。その年にチーム得点王となる14得点を挙げ、昇格プレーオフの末にJ1復帰に成功。17年にはユン・ジョンファン監督にFWとして固定され、一気にブレイクを果たした。J1で得点ランク2位となる22得点を挙げ、日本代表にも選出された。この活躍が目に留まり、リーガ・エスパニョーラのヘタフェから正式オファーが届いた。
 
 ここで杉本は熟考することになる。かねてから欧州挑戦を目標としてきただけに、気持ちは大きく海外に傾いていた。ただ、遊離軟骨を除去するために左足首を手術したばかりだったこと。そして、6月にロシア・ワールドカップが控えていたこと。この2つを考慮して、最終的に残留を決断するに至った。

 迎えた今季は自身が思い描いたようにはいかなかった。ワールドカップのメンバー入りを逃し、右内転筋痛や右足薬指の骨折、そして右肩脱臼と相次ぐ負傷。夏場以降に失速したチームと同じように、自身のパフォーマンスも上がらなかった。結果的に、30試合・5得点。これが18年シーズンの杉本の成績だった。
 

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