「1年でクビ」から再挑戦で73得点。波乱万丈のJリーガー難波宏明が岐阜で愛されたワケ

2018年12月02日 Jリーグ

12年の現役生活にピリオド。一度はクビを宣告された男がJの舞台に復帰できたのは?

今季限りで現役を引退した難波。一度はクビを宣告されるもJの舞台に舞い戻り、公式戦通算73ゴールをマークした。(C) J.LEAGUE PHOTOS

「まだまだできると自分は思っているし、まだまだサッカーボールを蹴りたかった。ただ、僕の好きなクラブ、愛着のあるクラブで辞めることができる。本当に悔いはありません」
 
 日に焼けた顔に涙はなく、晴れやかな表情で「岐阜の魂」と呼ばれた男が引退を発表した。

 
 難波宏明は2001年、高校を卒業しヴィッセル神戸に入団したものの「1年でクビ」。傷心のなか、栃木SC(当時JFL)へ移ったが、Jリーガー復帰への道は遠く、プロフットボーラーをあきらめ、流通経済大で社会科の教師を目指すことにした。
 
 しかしそこで、続けてはいたものの二の次だったサッカーへの気持ちに再び火が付いた。Jリーガーを目指し、必死にプレーするチームメイトに感化され、「オレは何をしているんだ。もう一度頑張ろう」と思ったという。これを転機としてプレーヤーとしての輝きを取り戻した難波は、チームを関東大学リーグ1部優勝へ導き、MVPにも輝いた。その実績により2006年に横浜FCの特別指定選手となり翌年入団。5年の歳月が掛かったがプロの世界へ再び戻ってきた。その後、横浜FCで6シーズン、水戸で1シーズン、岐阜では5シーズン、プレーした。今季は30試合に出場し、1ゴールも先発出場は0試合。来シーズンの契約を結ばないことをクラブから告げられた。
 
「異色の経歴」とよく紹介されるが、5年を掛けてプロの舞台に舞い戻り、その後12シーズンに渡ってプレーを続けたことは、「異色」と言うだけでは済まない努力の賜物だっただろう。難波自身も振り返る。
「(選手人生を)終わってみると夢のような時間だった。クビからもう一度プロへ戻ってくることができ、そこから長くプレーできた選手はいないだろう。いろいろな人に恵まれてここまで来られたのだと思う。ただ1年、1日と区切って思い返すと、本当に苦しい毎日だった」
 
 引退に関しても「サッカー選手は、年齢はどうあれ、常に引退と隣り合わせ。だからこそ頑張って強くなる。1年1年そういった気持ちでやってきた」と語る。
 

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