高木体制が幕を下ろした長崎、名実ともに「ジャパネット主導」でリスタートへ

2018年12月02日 藤原裕久

最後まであがき続けた姿は長崎らしかった

18位でJ2への自動降格が決まった長崎。しかし、最下位チームとしては異例といえる勝点30を積み上げた。写真:滝川敏之(サッカーダイジェスト写真部)

 11月19日、2013年のJリーグ参入以来、6年に渡ってチームの指揮を執ってきた高木琢也監督の今シーズン限りでの契約満了が発表された。「JリーグクラブとしてのV・ファーレン」と、「ジャパネット体制前からのチーム」という二重の意味で大きな分岐点を迎えたと言えるだろう。
 
 今季、J2降格候補の最右翼とされながらも、最下位チームとしては異例なほどの勝点を積み重ねてリーグ終盤までJ1に食らいつき、最後はJ2の結果という他力にもすがってあがき続ける「泥臭い」姿は、Jリーグ昇格断念や経営危機などがありながらも存続してきた「ジャパネット体制前の長崎」らしいもので、妙に懐かしい終わり方でもあった。
 
 高木監督が就任した頃の長崎は、まだプロクラブと胸を張れるほどの体制や心構えは備わっていなかった。そんな空気を察した高木監督は、就任会見で、2012シーズンの最終節でJ2からJFLの降格が決定したFC町田ゼルビアの映像を見せながら、「これが降格するということ。長崎の現状を考えれば、ひとつにならないと我々も降格することになると思います。みなさんの力を貸してください」と語っている。そして、この危機感こそがJ1昇格初年度の躍進の原動力だったと思っている。
 ハードワーク、球際の強さ、競り合いでの粘り、攻守の切り替えの早さ。高木監督の就任初年度から、長崎のベースは一貫している。それは予算の関係上、単純な戦力では他クラブに劣る中で、チームが勝負できる数少ないポイントであり、ここに圧倒的なスカウティング量から導き出したゲームプランを組み合わせて長崎を勝たせるための手法を導き出した。これを徹底できたことが、J参入後に躍進できた秘訣でもあった。
 
 そして選手たちもスタッフたちも、これによく応えた。奥埜博亮、黒木聖仁、三原雅俊ら能力の高い選手を期限付き移籍で獲得して戦力を高めた服部順一氏。永井龍、村上佑介、田上大地らを獲得してチームのベースを強化した丹治祥庸氏。中村慶太や翁長聖を見出し、ヨルディ・バイス獲得にも尽力した竹村栄哉氏など、歴代の強化部長はチーム力を着実に高めていった。

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