「中体連出身で並の選手」だった守田英正は、なぜプロ1年目で日本代表入りを掴めたのか?

2018年09月11日 竹中玲央奈

母校・恩師が挙げるのは「責任感の強さ」と「走力」

川崎での活躍が認められる形で日本代表に初選出された守田。森保ジャパンで唯一、プロ1年目での抜擢となった。写真:山崎賢人(サッカーダイジェスト写真部)

 2022年カタール・ワールドカップへ向けて舵を切った森保ジャパンの初陣に招集された面々に新鮮さを感じたファンは多いだろう。リーグで活躍する選手やリオ五輪のメンバーなどが数多くいるが、その中で追加招集ながら、唯一プロ入り1年目で代表に選ばれたのが、川崎の守田英正である。
 
 流通経済大から初めて川崎に入団した守田は大学3年生で急成長を遂げ、春に行なわれたデンソーチャレンジカップでMVPを獲得。SB、CB、ボランチと守備的なポジションを高いレベルでこなし、大学サッカーでは際立った存在感を発揮していた。プロ入り後はリーグ開幕戦でベンチ入りし、途中出場で23分間にわたりピッチに立つと、以来一度もメンバーから漏れることなく、8節の仙台戦で初めて先発フル出場を飾った。
 
 チームにとって想定外だったが、彼にとっては追い風となったのが、エドゥアルド・ネット(名古屋)の移籍だ。直近2シーズンで不動の存在として中盤の底に君臨したこのブラジル人ボランチが離れたことによってポジションを手にし、今やチームにとって外せない存在となった。
 
 余談だがチームメイトで今回の代表にも招集された小林悠は「守田はすぐにでも試合に出られるんじゃないかなと思う」とシーズン前に口にしていた。
 
 ただ、そんな守田もエリート街道を歩んできたわけではない。高校時代に彼を指導した金光大阪・岩松哲也監督によれば、高校入学時点では並よりやや上という程度の選手に過ぎなかったようだ。
 
「出身は中体連で強いところではあったんですけど、並の選手でした。ボールを扱う技術についても普通よりちょっとだけできるね、という感じでしたよ。ボールを落ち着かせる力やさばく力はあったと思います。ただ、それがJのレベルかと言うとそうではない」
 
 ただ、その中でも際立ったものが2つあったという。責任感の強さと、走力だ。
 
「中体連の子は『自分は中体連だから』と引け目を感じている子が多いんですけど、守田はその中でクラブチーム出身の同級生たちに負けずにコツコツと積み重ねをしてきて、芽が出てきたのかなと。それに、もともと行動で示すタイプでした。責任感が強く、1年生の時から代表者的な立ち位置もやっていましたし、キャプテンも務めましたから。
 
 あとは、技術的なものとか戦術的な理解度は少々できるという程度でしたけど、めちゃくちゃ走れました。学年だけでなく学校全体でトップクラスでしたから。陸上部を差し置いて。本当にすごい。僕も30年くらいこのチームを見ているけど、トップクラスですね」
 

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