「パラグアイ代表か日本代表に入る」 名古屋U-18所属FWの知られざるルーツと確固たる決意

2018年08月23日 安藤隆人

松岡ジョナタンは初戦の静岡ユース戦で苦い経験を味わった

U-18パラグアイ代表として、SBS杯に参戦した松岡。今後、どちらの代表を選択するのか注目だ。写真:茂木あきら(サッカーダイジェスト写真部)

 U-18パラグアイ代表の優勝で幕を閉じたSBSカップ国際ユースサッカー大会。優勝の喜びを全身で表現するパラグアイ代表の中に、名古屋グランパスU-18所属の松岡ジョナタンの姿もあった。

 今回、松岡はU-18パラグアイ代表として出場。最終戦となった8月19日のU-18日本代表戦はベンチ外となり、ジャージ姿でのセレモニー参加になってしまった。

 初戦の静岡ユース戦(静岡県U-18選抜)、第2戦のU-18オーストラリア代表戦ではいずれも試合途中からの出場。赤と白の縦縞のユニホームを身に纏ってピッチに立った。

 ただ、PK戦となった静岡ユース戦では苦い経験を味わうことに。10人目のキッカーを務め、放ったシュートはクロスバーを直撃してしまったのだ。チームも敗戦し、彼にとって大きな意義を持つ時間だった。

「パラグアイか日本代表に入ることは、ずっと持ち続けていた夢だったんです」

 松岡にとって今回の代表選出は人生で初の出来事だった。父はパラグアイとイタリア、母はパラグアイと日本にルーツを持つ。そのため、20歳までにパラグアイと日本の国籍を選べる立場で、今回はパラグアイから招集の声が掛かった。

 パラグアイ生まれの松岡は6歳の時に来日し、そこからずっと日本で育った。3歳で始めたサッカーも日本で技術に磨きをかけ、高校進学のタイミングでHONDA FCから名古屋グランパスU-18にやってきた。

 昨年はプレミアリーグ参入戦1回戦で2ゴールを挙げ、参入決定戦進出に貢献。その決定戦では負傷退場を余儀なくされ、今季は10番を託されたなかで復帰までに時間が掛かってしまった。

 しかし、松岡は懸命にリハビリと筋力アップに取り組み、復帰後は徐々にコンディションも向上。そうした折に、U-18パラグアイ代表入りの朗報が舞い込んだ。

「パラグアイが声を掛けてくれたことはとても感謝をしています。でも、日本という国が僕をサッカー選手として育ててくれた。だからこそ、やっぱり日本代表に入りたいという思いはあります」

 そういう言葉で日本への想いを口にする一方、今回の経験は彼の心境も大きく変えた。

次ページ松岡が別れ際に仲間と交わした言葉は「また会おう」

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