電撃移籍の背景――金崎夢生はなぜ鹿島の慰留を受け入れず、降格圏に沈むクラブを選んだのか?

2018年07月26日 サッカーダイジェストWeb編集部

ロシアW杯が終盤戦を迎えるころには…

鳥栖への完全移籍となった金崎。ワールドカップが終盤戦に差し掛かった頃には移籍へ向けての動き出していたという。写真:徳原隆元

 鹿島は24日、元日本代表FWの金崎夢生が鳥栖へ完全移籍することを発表した。今季、背番号「10」を背負い、鹿島のエースとしてチームをけん引してきた金崎は「鹿島で培った経験を生かし、新たな挑戦に臨みたい」と話し、クラブを去った。

 
 大分、名古屋、ニュルンベルク(ドイツ)、ポルティモネンセ(ポルトガル)と5クラブを渡り歩いてきた金崎。そのキャリアの中で最長3年半在籍した鹿島を離れ、新天地に選んだのは、J2降格圏で不振にあえぐ鳥栖だった。
 
 金崎は2015年2月にポルティモネンセから鹿島に期限付きで加入すると、16年2月には完全移籍でチームの一員となり、7年ぶりのJ1タイトル獲得に貢献。名実ともにエースとなった昨季は、夏に神戸から熱烈な誘いも受けている。滝川二高時代の3年間を過ごした思い出のある街で「オファーは魅力的だった。これから先の考えを聞いて、すごくひかれた」と心が揺らいだが、これを断り残留を決断。残るタイトルの獲得を約束した。
 
 だが、熱い思いとは裏腹に、戴冠を義務づけられた2017年のアジア・チャンピオンズリーグ(ACL)ではベスト16で敗退。連覇を狙うリーグ戦は最終節で優勝を逃し、金崎は「俺のせいで優勝できなかった」と自らを責めた。
 
 クラブはより一層の期待を込めて今季の金崎に伝統の「10番」を託した。序盤はその重圧からか、思うような結果を出せず。エースの不調はチームの不振につながり、鹿島らしからぬ低調な出だしとなってしまった。
 
 それでもACLでは6試合・4得点、リーグ戦では15試合・7得点を記録。尻上がりに調子を上げてきたが、慢性的な足首の怪我に悩まされ、ベストな状態を維持できず。別メニューで調整する日々が続くようになると、それに加え、土居や鈴木らの好調ぶりも際立った。徐々にポジションを失い、ロシアで行なわれていたワールドカップも終盤を迎える頃には「新しいチャレンジに向き合いたい気持ちがあった」と移籍を視野に動き出していた。
 

次ページ過去の移籍と同様にクラブの人気や知名度は考慮しなかった

みんなにシェアする
Twitterで更新情報配信中

関連記事