2位町田の快進撃を陰で支える人気広報。自らの似顔絵ゲーフラが立つまでの紆余曲折【サッカー人の経歴書】

2018年07月20日 郡司 聡

取材先でかかってきた夢を叶える1本の電話

町田の広報を務める近藤氏。現職に就いて約7年、チームの戦いぶりを傍らで見守ってきた。写真:滝川敏之(サッカーダイジェスト写真部)

 現在、J2リーグで昇格圏内の2位と健闘を見せるFC町田ゼルビア。その町田を裏方のひとりとして支えるのが、クラブ広報の近藤安弘さんだ。大学時代にサッカーに携わる仕事を夢見た彼は、どのような道を辿りいまに至るのか。憧れの職業に就くまでの道のりとは?
 
――◆――◆――
 
 転機は、突然やってきた。
 
 その日、向かっていた取材先は、豊田スタジアムで開催されていたクラブチーム世界最高峰の舞台・クラブW杯。ブラジル代表FWネイマールを擁するサントスFCとJリーグ王者・柏レイソルが激突する試合の取材に向かっている新幹線の中で、携帯電話がブルブルと震えた。車内のデッキに移動し、電話に出ると、声の主はFC町田ゼルビアの唐井直GMだった。
「ゼルビアで広報を探しているんだが、興味はある?」
 
 予期せぬオファー。しかし、断る理由なんてなかった。一つの夢が、叶おうとしているのだから――。
 
 大学在学中、将来の人生設計を組み立てようと思い立った"近藤青年"は、もともとサッカーの仕事に就きたいという願望を抱いていた。そのため、"サッカーの仕事をしながら人生を過ごす生き方"にはどんなものがあるのか。思いつくままに、紙に列挙してみた。
 
 優先順位順に並べると、「プロサッカー選手」「サッカークラブで働く」「マスメディアで働く」「スポーツショップの店員」……。土・日休みの仕事に就いて、少年サッカーチームの指導者になることも頭に浮かんだ。しかし、サークルレベルだったサッカーで、プロ選手としてご飯を食べるという選択肢はゼロ。二番目のクラブスタッフの道も、クラブの親会社の職員として出向する形や元選手など、そうした縁がなければ、夢の実現も現実味が薄い。どこかでそう思っていた。
 
 だからこそ、2011年12月中旬、不意にやってきた町田・唐井GMからのオファーは断る理由もなかった。家族を説得し、約2年間従事してきた講談社のサッカー専門サイトの責任者にも慰留を受けたが、最終的には両者合意の下、離職が決まり、ゼルビアの一員となった。町田広報デビューは2012年1月下旬に開催されたオズワルド・アルディレス監督、新加入選手会見の席だった。
 
 サッカーメディアからクラブスタッフへの転身――。こうして、第二のキャリアがスタートした。
 

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