ローマで活躍した元日本代表監督&元鹿島監督が34年前のリバプール戦を振り返る

2018年05月02日 サッカーダイジェストWeb編集部

本拠地オリンピコで決勝を戦う権利を得たが…

1番手ニコルが外した先攻のリバプールだが、ローマは2番手コンティ、4番手グラツィアーニ(写真)というイタリア代表の名手が失敗。ホームで涙を飲んだ。 (C) Getty Images

 ローマは5月2日(現地時間)、チャンピオンズ・リーグ(CL)準決勝の第1レグでリバプールをホームに迎える。第1レグを2-5で落としている彼らは圧倒的不利を予想されるも、準々決勝バルセロナ戦での大逆転劇の再現を狙っている。
 
 ローマとリバプールといえば、CLでは過去に2001-02シーズン(2次リーグ)、ヨーロッパリーグでは00-01シーズン(ラウンド16)でそれぞれ1回ずつ対戦しており、ローマの1勝1分け2敗という対戦成績が残っているが、この両チームの関係を振り返る上で、1983-84シーズンの一戦を忘れるわけにはいかない。
 
 CLの前身の大会であるチャンピオンズ・カップの決勝。初めてファイナリストとなったローマは、大きなアドバンテージを手にしていた。決勝の会場はオリンピコ。つまり、ローマはこの大一番をホームスタジアムで戦うことができたのだ。
 
 しかし、過去に3度の優勝を飾り大舞台慣れしているリバプールは、この状況にも気圧されることなく、序盤にニールが先制点を挙げ、前半終了間際にプルッツォに同点ゴールを許したものの、その後はホームチームのゴールを許さずにPK戦へ突入。1人目が外したものの、持ち直して逆転での勝利を飾った(4-2)。
 
 ローマにとっては千載一遇のチャンスをホームで逸したという、忌まわしき悪夢の一戦だが、同時にその後は一度も決勝の舞台に立っていない彼らにとっては、輝かしき、そして古き良き思い出でもあるようだ。
 
 この一戦で、ローマの一員として戦ったのが、ブラジル代表でジーコ、ソクラテスとともに「黄金の中盤」を形成し、82年スペイン・ワールドカップで世界を魅了した、パウロ・ロベルト・ファルカン、トニーニョ・セレーゾの2人だ。
 
 前者は94年に短期間ではあるが日本代表監督を務め、キリンカップ、アジア大会でも指揮を執った。一方、後者は05年から6シーズン、さらに13年から3シーズン、鹿島アントラーズの監督として、2度のリーグ優勝の他、7つのタイトルをチームにもたらした実績を有する。
 
 そんな日本サッカーにも所縁の深い2人が、『ガゼッタ・デッロ・スポルト』の取材で、34年前のリバプール戦を振り返っている。

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