引退後に電通とスカパー!へ。元Jリーガー・外池大亮はなぜ母校・早稲田大の指揮官に?

2018年04月19日 竹中玲央奈

トライアウトを経て入団した甲府時代に、企業でのインターンを経験。

今季から母校の早稲田大を率いる外池監督。湘南や横浜、甲府などでプレーし、引退後はサラリーマンとしてのセカンドキャリを送ってきた。写真:猪野史夏

 前年度王者の冠を引っさげて臨んだ2016年シーズン、早稲田大学ア式蹴球部は失意の2部降格を味わった。しかし、1年での復帰を果たして今季より再び1部の舞台へ戻ってきている。そんな名門に今年、OBの新監督が迎えられた。
 
 2010年より8年間チームを率いた古賀聡氏の退任を受け、"ワセダ"の指揮官の座を託されたのは、かつてベルマーレ平塚や横浜F・マリノスでプレーした外池大亮である。この新監督の経歴は、いささか風変りだ。
 
 外池は早稲田実業高から早稲田大へ進み、1997年からベルマーレ平塚でプロキャリアをスタートさせた。プロサッカー人生の中で、彼は戦力外通告を受けること3回、トライアウトには2回挑み、引退まで7クラブを渡り歩いた。プレーした年数は11年に及ぶ。これだけ見れば"苦労もしつつ、長くプロ生活を送れた選手"で終わるかもしれない。ただ、その稀有なキャリアは、オフ・ザ・ピッチの活動と引退後に象徴される。
 
 トライアウトから入団した甲府時代に、オフシーズンを利用して企業へインターン(就業体験)をするようになり、プロサッカー選手という特殊な領域から一般社会へと歩み寄った。そして引退後の2008年には大手広告代理店の電通へ就職し、日本代表のオフィシャルスポンサーとなっているキリングループの担当営業として活躍した。
 
 それだけに留まらず、次なる舞台として当時Jリーグの放映権を持っていたスカパー!JSATへ転職し、コンテンツ製作や広告、プロモーション周りなどの業務を第一線でこなしていたのだ。そんな中で今年より母校の監督になったのだが、籍はスカパー!に置いたまま、継続して業務にも励んでいる。
 

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