2010年の誕生日から4年を経てなお、本田圭佑は「持っている」男なのか?

2014年06月13日 週刊サッカーダイジェスト編集部

4年前はベンチスタートから一転、主役級の存在に。

2010年のワールドカップでは2得点1アシストで、日本のグループリーグ突破に貢献。大会前からの自身の状況を一変させた。 (C) Getty Images

 2010年6月13日。本田圭佑は、南アフリカの地で高揚した表情でこう語った。
「誕生日にワールドカップで点を取って勝てた? そうですね、まあ、僕は『持っている』んでしょうね」
 
 グループリーグ初戦のカメルーン戦。大会に向けた調整試合で連敗を喫していた日本代表を取り巻く雰囲気は、決して明るいものではなかった。そんな空気を一変させたのが、背番号「18」を付けた金髪のレフティー。右サイドの松井大輔からのクロスをファーサイド受けると、バウンドしたボールに上手く左足を合わせ、ゴールネットを揺らした。前半に挙げたこの虎の子の1点を守りきり、日本は戦前の予想を覆して勝利。1トップに入った本田は、一躍日本中の注目を浴びる選手になった。
 
 本田が代表内で本格的に台頭してきたのは、その前年の09年だった。印象に残るシーンと言えば、欧州遠征のオランダ戦。後半、直接FKの場面で、当時背番号10を背負いチームの絶対的存在でもあった中村俊輔と、キッカーを巡って一歩も引かない態度を取った。結局その場は中村が蹴り、本田は苦笑いを浮かべつつも、悔しそうな表情を湛えていたが、あれ以降、彼が単なる控え選手ではないという印象を人々に植えつけた。
 
 南アフリカ大会直前、当時の岡田武史監督は、それまでの高い位置で人数を掛けてボールを奪いに行き、パスをつないで攻め込む攻撃的なサッカーから方向転換。全体のラインを下げた、守備的なスタイルに舵を切ったのだった。
 
 攻撃的な戦術においてキーマンだった中村は、ベンチに。そして、対人プレーに強く、相手DFを背負いながらもひとりでボールキープができる本田が、1トップの位置に抜擢された。
 
 以降、大会での本田の活躍ぶりは、もはや周知の事実だろう。大会前までは、試合の流れを変える役割を期待されていたに過ぎなかった背番号18は、終わってみればチームを最前線から牽引する主役級の輝きを放っていた。

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