膝の大怪我、浪人生活、恩人との出会い…レノファ山口の躍進を支えるキャプテンは異色の経歴の持ち主

2018年04月03日 本田健介(サッカーダイジェスト)

「最終的にはトップ2に入りたい」

今季から山口のキャプテンに就任した三幸。正確なパスでチームを操っている。(C)J.LEAGUE PHOTOS

「もう一度パスを戻せ!」「逆サイドに展開しろ!」
 
 春の日差しが降り注ぐ、レノファ山口の練習場(県立おのだサッカー交流公園)には、ひと際大きな声を張り上げる選手がいた。身体は細身だが、ボランチとして長短のパスを味方に次々とつないでいく。その男こそ今季から山口のキャプテンとなった三幸秀稔だった。
 
「(霜田正浩)監督からは厳しい声を掛け合いながら、グラウンドでは喧嘩でもなんでもして良いと言われています。ただ、大事なのは言いっぱなしになるんじゃなくてしっかり意見を擦り合わせることだと、皆、理解できています。だからミーティングも皆でやりますし、常にチームのことを考えるようにしています。同じ方向を向いているからこそ、今の調子につながっているんだと思います」
 
 三幸の言葉どおりチームは開幕7戦で4勝2分1敗で4位に付けている。そのためか「遠くの目標は立てないようにしているんですが、自分たちがやらなくてはいけないことをやれば、6位のプレーオフ圏内には行けると感じています。最終的には(自動昇格の)トップ2に入れるようになりたいです」と言葉にも力がこもっていた。
 
 さて、この山口の新キャプテンだが、経歴を訊いてみると、なかなか珍しいキャリアを歩んできたことが分かる。
 
 中、高はJFAアカデミー福島の1期生として、幸野志有人(現・長崎)や"リトルなでしこ"などで活躍した田中陽子(現・ノジマステラ神奈川相模原)らと研鑽を積み、2012年に甲府でプロ生活をスタート。ただ同年9月に右膝前十字靭帯を損傷し、翌年は甲府を契約満了となった。
 
 2014年にはJ3の相模原へ移籍し、28試合に出場したが、1年限りで退団。その後は所属先が見つからず1年の浪人生活を強いられた。そんな三幸に救いの手を差し伸べたのが山口だった。2016年にJ3から昇格したばかりのチームに加わると、36試合・3得点の成績を残し、中心選手へ成長。
 
 ただ、昨季は4節の東京V戦で左足内側の側幅靱帯を負傷し、約2か月の戦線離脱を強いられた。すると、チームも不振を極め、上野展裕監督が5月に退任。J2残留争いに巻き込まれた。
 

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