【日本代表W杯の軌跡】唐突な幕切れと新たな旅の始まり|2002年日韓大会・トルコ戦

2014年06月05日 週刊サッカーダイジェスト編集部

初めての2トップの組み合わせで選手に生じた違和感。

前半12分にウミト・ダバラ(中央)のフリーでのヘディングシュートを許してしまった。これが日本に重くのしかかる……。 (C) SOCCER DIGEST

 日本の出陣を前に、これまでワールドカップで残した足跡、つまり日本が戦った14試合を、週刊サッカーダイジェストの当時のレポートで振り返っていく本連載。今回紹介するのは、日本中がワールドカップフィーバーに沸いた2002年大会だ。
 
 当時の興奮を思い出しながら、間もなく地球の裏側で始まる新たな戦いに思いを馳せていただきたい。
 
――◆――◆――
 
 試合終了を告げるピエルイジ・コッリーナ主審の笛の音は、歓声にかき消されて記者席までは届かなかった。日本の選手たちが一斉にうなだれ、トルコベンチが突如として歓喜を爆発させる。雨に煙るピッチに彩られた勝者と敗者のコントラストが、戦いの幕切れを教えてくれた。
 
 どこからともなく湧き起こる乾いた拍手が、スタジアムの静寂をかえって強調するかのようだった。敗北するたびにいつも顔を紅潮させていたフィリップ・トルシエ監督が、今回ばかりは表情を崩さない。しかし、ピッチの中央に集まったブルーの人だかりのなかには、涙を隠そうとしない男たちがいた。
 
 これまでの3試合がまるで幻だったかのような、あっけない幕切れだった。
 
 日本は過去にない顔ぶれで試合に臨んだ。コンディションの上向いてきた西澤明訓を初めて起用し、その相棒には三都主アレサンドロが入る。トルシエ監督にすれば、西澤のポストワークと三都主のスピードに期待するものが大きかったのだろう。
 
 とりわけ左サイドに流れる三都主を小野伸二の前方に入れたのは、同サイドでトルコの攻撃を指揮するMFウミト・ダバラを黙らせたかったゆえに違いない。これまで2トップを務めてきた鈴木隆行や柳沢敦の疲れも考慮すれば、決して理解できない起用法ではなかった。
 
 とはいえ、実際に戦う選手たちにとっては、あまりに唐突すぎた。今まで一度も試したことのない2トップの組み合わせであるばかりか、ふたりとも今大会初のスタメン入り。その意味でこの用兵は、勝算の計算しづらいギャンブルだった。そして、ギャンブルは結果的に裏目に出て、試合の結末に少なからず影響を与える。
 
 日本は大会4戦目にして初めて、前半に失点を許した。12分のCK。エルギュン・ペンベのキックにウミト・ダバラがヘッドで合わせたものだ。日本のDF陣は、この186センチの長身を誇るアタッカーを見失ってしまった。リスタートでマークが外れる日本の悪い癖が、大事な場面で再び出たかたちだ。
 
 手痛い一発だった。しかし残り時間は有り余るほど。日本は気後れすることなく攻めていった。19分には三都主と西澤のコンビネーションで最初の決定的をつかみ、29分には中田英寿のクロスに三都主が飛び込んで、あわやという場面を作る。
 
 展開はほぼ互角。トルコのエルギュン・ペンベがそれとなく中田英をケアするのに対し、日本も戸田が常にイルディレイ・バストゥルクを視野に入れる。ともに相手を知り尽くした同士の戦い。相手を意識した戦い方というのは、日本が本大会に入りずっと実践してきたものである。

次ページチャンスは作るも、リズムに乗れないまま時は過ぎ…。

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