初の欧州制覇を狙うアトレティコ・マドリーの国際舞台での実績とは?

2014年05月23日 サッカーダイジェストWeb編集部

初の欧州タイトルは再試合の末のカップウィナーズ・カップ。

シメオネ体制となって初の欧州タイトルとなった11‐12シーズンのヨーロッパリーグ。ここからアトレティコは上昇を続け、ついに頂点に辿りつきつつある。 (C) Getty Images

 チャンピオンズ・カップの誕生とともに5連敗を果たし、その後も常に世界最高のクラブとして欧州サッカーシーンの先頭を走り続けてきたレアル・マドリー(以下マドリー)に対し、アトレティコ・マドリー(以下アトレティコ)は紆余曲折の歴史を歩んできた。マドリーが常にエリートであり続けたのとは対照的に、アトレティコは2部リーグ降格も経験し、さまざまな危機に晒されたりもした。
 
 出自も、歩んできた道のりも違う首都マドリードの2クラブ。獲得タイトル数にも大きな差が生まれているが、一番の違いはクラブ最高の栄誉であるチャンピオンズ・リーグ(カップ)の優勝回数だ。最多となる9度の欧州制覇を誇るマドリー。一方のアトレティコはまだビッグイヤー(優勝トロフィー)を掲げたことがない。決勝進出も1973‐74シーズンの一度きりだ。他のカップ戦を含めても、1903年の創設以来、このクラブが優勝を果たしたのは、カップウィナーズ・カップ1回、インターコンチネンタル・カップ1回、ヨーロッパリーグ2回、そしてスーパーカップ2回である。
 
 アトレティコが初めて欧州カップの舞台に立ったのは58‐59シーズンのチャンピオンズ・カップ。マドリーが前年優勝枠で出場権を得たため、国内リーグ2位のアトレティコに出場権が巡ってきたのだ。そしてこの大会の準決勝で早くも、マドリードダービーが実現。規定のホーム&アウェーでは決着がつかず、再試合でマドリーに軍配が上がった。余談だが、現在のアウェーゴール・ルールであれば、アトレティコが勝ち抜けとなり、そうすればマドリーの歴史的な欧州5連覇もなかったことになる――。
 
 さて、アトレティコが初めて欧州タイトルに手を届かせたのは61‐62シーズン。前シーズンのコパ・デル・レイ決勝でマドリーを下して出場権を得た、カップウィナーズ・カップである。創設2年目の同カップで、予備予選から勝ち上がって初代王者フィオレンティーナとの決勝進出を果たすと、中立地グラスゴーでの戦いは1‐1の引き分けに終わるも、会場をシュツットガルトに移した再試合では3‐0で完勝を飾った。
 
 同カップでは翌シーズンも決勝進出を果たしたアトレティコだったが、トッテナムに1‐5で大敗して連敗は果たせず。次に欧州カップ戦のファイナリストとなるには、12年間待つ必要があった。
 
 73-74シーズンのチャンピオンズ・カップ決勝。バイエルンと雌雄を決するアトレティコには、現在ナポリでプレーするスペイン代表GK、ホセ・マヌエル・レイナの父ミゲル(GK)や、先日亡くなった名将ルイス・アラゴネス(MF)が在籍しており、好守にバランスの取れたチームだった。
 
 試合は延長戦でアラゴネスの先制ゴールが決まるが、間もなく同点を許して120分間を終了。規定により2日後に再試合が行なわれたが、ここから黄金時代を迎える(欧州3連覇)バイエルンのゴールラッシュを許し、0‐4で欧州制覇の夢は潰えた。ところが、である――。

次ページ「デシマ」と「プリメーラ」――達成されるのはどちら!?

みんなにシェアする
Twitterで更新情報配信中

関連記事