【現地発】敵地でスタンディングオベーションを受けるバルサの背番号8。いまや国内だけでなく欧州の舞台でも

2017年12月02日 エル・パイス紙

リスボンやトリノでも観客が総立ちに。

ベンフィカ戦に続きユベントスとのアウェーゲームでも、イニエスタがピッチを退く際、会場は拍手喝采に包まれた。(C)Getty Images

 2010年南アフリカ・ワールドカップ決勝の延長後半だった。セスク・ファブレガスのパスにアンドレス・イニエスタが右足を振り抜き、115分もの間スコアレスが続いた試合の均衡をついに破った。

 結局このゴールが決勝点となり、スペインは初の世界制覇を達成。その夜、そしてそれからいく晩もの間、人々は優勝を祝い続けた。そうした歓喜の日々は、いまも鮮烈な記憶として多くの国民の脳裏と心の中に生き続けている。

 イニエスタにとってこれは、単なる個人的な成功物語ではなかった。その前年の夏、エスパニョールのCBダニ・ハルケが急性心筋梗塞により死亡した。イニエスタは、得点後にユニホームを脱いでアンダーウェアに手書きした「DANI JARQUE SIEMPRE CON NOSOTROS」(ダニ・ハルケ、僕たちはいつも一緒だ)というメッセージを示すことで、その大親友に優勝を捧げたのだった。

 同じ町のライバルという枠組みを超え、個人のこととして喜ぶのではなく友情で結ばれた絆の大切さを訴えたイニエスタの行動は、エスパニョール・ファンの心を動かし、世界中の人々に深い感銘を与えた。

 イニエスタの人気は、サッカー選手としての素晴らしさもさることながら、彼のそうした慈悲深い人柄に支えられているのは間違いない。

 この出来事を境に、イニエスタはスペイン国内でホーム、アウェーを問わず観客から大きな拍手を受ける機会が多くなった。唯一の例外は、政治思想の違いやイデオロギーの対立というスポーツとは無関係の事情が大きく影響しているアスレティック・ビルバオの本拠地、サン・マメスだけである。

 今シーズンは同じような光景が、ヨーロッパに舞台を移しても見られるようになった。発端はCLグループステージ第1節のスポルティング・リスボン戦だった。この日、敵地ジョゼ・アルバラーデに集まった観客たちは、バルサの選手に対しことあるごとにブーイングを浴びせた。イニエスタもその例外ではなかった。

 しかし80分、イニエスタが中盤の守備固め役であるパウリーニョとの交代を命じられると、ピッチを後にするバルサの背番号8を称える万雷の拍手が、スタジアム中で沸き起こったのだ。

 それは、キャリアを通じて一度もレッドカードを受けたことがなく、つねにスポーツマンシップに則った振る舞いを示し続けてきたイニエスタに対するファンの、感謝の気持ちの発露のようでもあった。

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