「スパイは誰だ?」「お前たちで勝手にやれ!」イタリアW杯予選敗退の舞台裏

2017年11月25日 ジャンルカ・ディ・マルツィオ

ヴェントゥーラは代表監督の地位に相応しい人物ではなかった。

プレーオフ時のヴェントゥーラ監督(左)は正常なメンタルになく、ブッフォン(右)ら選手たちとの信頼関係も崩壊していた。(C)Getty Images

 実に60年ぶりにワールドカップ出場権を逃したイタリア。この敗退の責任者として槍玉に挙がっているのが、チームを率いたジャン・ピエロ・ヴェントゥーラ監督だ。
 
 代表監督の地位に相応しい人物ではなかったことを端的に示しているのが、チームにとって最もデリケートだったスウェーデンとのプレーオフに向けた状況をコントロールできなかったことだった。
 
 グループ首位を賭けたスペインとの直接対決(9月2日)に、4-2-4という無謀なほどに攻撃的なシステムで臨み0-3の完敗を喫して、それを強く批判された時から指揮官は、疑心暗鬼になってマスコミや世論を敵としてしか見られなくなっていた。
 
 決定的な出来事が起こったのは、スウェーデンの乗り込んだプレーオフ第1レグ当日だった。前日に決めたスタメンがマスコミに漏れたことで頭に血が上ったヴェントゥーラは、スタッフとテーブルを囲んだ昼食の席で、スタッフ一人ひとりに、マスコミに情報を漏らした「モグラ」(スパイ)は誰なのかを言うように求めたのだ。
 
 この振る舞いはスタッフとチームそのものを大きな困難に陥れた。「選手たちと自分とどちらを選ぶのか」と突きつけたようなものだったからだ。
 
 その第1レグで0-1と敗れ、まったく後がない状況に追い込まれたヴェントゥーラは、ストックホルムから戻る帰りの飛行機の中で、第2レグを投げ出して辞任するとまで凄んでみせた。さらにチームのベテラン選手たちからシステムと選手起用の変更を提言されると、「じゃあ、お前たちでメンバーを決めればいい!! 勝手にやれ!!」と言い放ったという。
 
 アッズーリの長い歴史の中で最も重要な試合のひとつだった第2レグに臨むその時点ですでに、監督と選手の信頼関係はすでに崩壊していたのだった。
 
 このヴェントゥーラはもちろん首を切られ、その後には連盟会長のカルロ・タベッキオも辞任。イタリア・サッカーはこの失敗から立ち直れるのだろうか。
 
文:ジャンルカ・ディ・マルツィオ
翻訳:片野道郎
 
※当コラムではディ・マルツィオ氏のオフィシャルサイトにも掲載されていない『サッカーダイジェストWEB』だけの独占記事をお届けします。
 
【著者プロフィール】
Gianluca DI MARZIO(ジャンルカ・ディ・マルツィオ)/1974年3月28日、ナポリ近郊の町に生まれる。パドバ大学在学中の94年に地元のTV局でキャリアをスタートし、2004年から『スカイ・イタリア』に所属する。元プロ監督で現コメンテーターの父ジャンニを通して得た人脈を活かして幅広いネットワークを築き、「移籍マーケットの専門記者」という独自のフィールドを開拓。この分野ではイタリアの第一人者で、2013年1月にジョゼップ・グアルディオラのバイエルン入りをスクープしてからは、他の欧州諸国でも注目を集めている。
 
みんなにシェアする
Twitterで更新情報配信中

関連記事