本山雅志があの「雪の決勝」の舞台裏を明かす! 試合前に考えていたのは意外にも…

2017年11月21日 川原崇(サッカーダイジェストWeb編集部)

のちに僚友・中田浩二とも話したという内容は──

雪のピッチとは思えないほど、東福岡は自慢のパスワークを惜しみなく披露。怪物のようなチームだった。(C)SOCCER DIGEST

 いよいよ明日配信スタートの『黄金は色褪せない』第5弾、本山雅志インタビュー。今回は先出し企画の最後として、いわゆる「雪の決勝」のエピソードを紹介しよう。
 
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 インターハイ、全日本ユースと、"赤い彗星"東福岡はすでに2冠を達成していた。そして迎えた1998年1月8日、選手権決勝。トリプルクラウンに挑むチームの前に立ちはだかったのは、最強のライバル・帝京だった。
 
 だがその日は早朝から、小雪がちらついていた。試合開始1時間前になると視界が不良になるほどの吹雪となり、国立競技場は一面の銀世界に。好勝負が期待された大一番は、劣悪な環境下で行なわれることとなった。いわゆる「雪の決勝」である。
 
 降り積もる国立のピッチを眺めながら、18歳の本山はどんなことを考えていたのか。
 
「チームとしては帝京のほうが夏より上積みがあった印象で、普通に雪じゃなくて戦ってたら、帝京が勝ってたかもしれない。それくらい強かった。コウジ(中田浩二。当時の帝京のキャプテン)とも話すんですけどね。うちはキジ(木島良輔。帝京の10番)が本当に苦手で、金古(聖司)もチヨ(千代反田充)もあのドリブルにチンチンにされてましたから。だから雪になって、これはヒガシに味方するかもなって」
 
 先制点を奪ったのは帝京だった。前半21分、一本のロングパスに金杉伸二がGKと競いながら頭でねじ込んだ。本山は「先生(志波芳則監督)がいちばん警戒していた形でやられた。でもあれで逆に開き直れた部分があった」と語る。東福岡はその3分後、古賀誠史に代わって左サイドで先発した榎下貴三が同点弾を決めた。
 
 そして後半頭から、志波監督が勝負に出る。

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