キャリアのラストを迎える石川直宏――最後にもう一度、突き抜けろ!

2017年11月01日 塚越 始(サッカーダイジェスト)

小学校時代、背番号「9」のDF茂庭と初対戦。

度重なる怪我を乗り越え、最後にピッチに立ち、躍動する姿を見せられるか?(C)SOCCER DIGEST

  FC東京の石川直宏は、横浜から加入した2002年から(当初は期限付き、03年8月7日に完全移籍に切り替え)ほぼ毎シーズン、コンスタントに『サッカーダイジェスト』本誌のインタビューに応じてくれた。その言葉を追うことで、彼の成長の軌跡も見えてくる。
 
 加入当初、いったい、どんな話をしていたのか。興味深かったものを紹介したい。
 
 まず2003年1月、選手同士の対談連載『J談』の第1回目に、石川は当時チームメイトだった茂庭照幸(現・C大阪)とともに登場している。
 
 神奈川県に住んでいたふたりの初対戦は、小学校高学年(5年か6年)の時だったという。ふたりは『初対戦』を次のように振り返っている。
 
茂庭 たしか俺がナオ(石川)にマンマークでついたよ。そしたらチンチンにされてさ(涙)。
 
石川 身体がすごくデッカくて、一番嫌なタイプのDFだなって、それがモニ(茂庭)だった。DFなのに、背番号9をつけていたのを覚えているよ。
 
茂庭 ナオ(石川)は神奈川ではスーパーな存在だったから、みんな一目置いていた。一方で、俺は足元の技術がないってよく監督から怒られて、それで仕方なく守備をするようになったんだよ。そしたら、いつの間にかDFにポジションを下げられてさ。
 
石川 それで中2の神奈川選抜で、チームメイトになって。ただ世代別の日本代表に選ばれたのはモニのほうが先だった。僕にとっては、モニはいつも先を行く存在だったよ。
 
 2003年のワールドユース(現・U-20ワールドカップ)を目指すユース日本代表に、茂庭が18歳、石川が19歳で選ばれる。そうやってふたりは切磋琢磨し合いながら、今日に至る。
 
 ともにプロフェッショナルとして18年目を迎える。そして、まず一足早く、石川のほうがスパイクを脱ぐ決断を下した。

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