『裏・海外組』が日本を強くする! DF孫民哲が語る意地と覚悟「インドで一番人気の日本人選手は…」

2017年09月02日 塚越 始(サッカーダイジェスト)

インドから今夏、香港に誕生した新チームへ移籍。「デル・ピエロが来た時は驚いた」

インドで5年間プレーし、今夏、香港に移籍! 孫民哲がインドでの興味深い様々な経験談を語ってくれた。写真:滝川敏之

 京都府出身で朝鮮大時代には関東選抜に抜擢され、その後、FC琉球などで活躍したDFの孫 民哲(ソン・ミンチョル)。2012年からインドのシロン・ラジョン、ムンバイでプレーし、この夏、香港プレミアリーグに新たに誕生したリーマンFCに移籍した。
 
 現在、数多くの日本人選手が、アジア各国でプレーしている。彼らは日本代表であり、Jリーグをはじめとするアジアのトップリーグを支えている貴重なプロフェッショナルプレーヤーたちだ。そのなかで孫は「ACLでのJリーグ勢との対戦&Jリーグ入り」を目標に掲げて戦ってきた。
 
 30歳を迎えた俊英センターバックの熱き挑戦は、香港で新たな物語を紡ぎ出す。
 
 これまでの海外挑戦の経緯、そして主にインド生活での数知れないエピソードのいくつかを、孫に語ってもらった。
 
―・-・-・-
 
――FC琉球、FCコリアでプレーしたあと、どういった経緯でインドに渡ったのですか?
 
「最初はタイのクラブから話をいただいて現地に行ってみると、『カップ戦しか出られない』という契約だと分かったんです。それでは無理だと代理人に相談したところ、『じゃあインド、どうだ』と言われたんです」
 
――すごい展開ですね。
 
「はい。え、インド!? って。当時はまったく想像できませんでした。ただ海外でプレーしてみたいと思っていて、いろいろ話を聞くと、とても待遇が良く、クラブの態勢もしっかりしていたので、シロ・ラジョンと正式契約に至りました。ラジョンの町はとてもサッカー熱が高く、観客数も毎試合2万5~6000人が入って、それでいてとてもファミリー的なチームでした」
 
――ちょうどインドの国内リーグが盛り上がっていった時代ですね。
 
「そうですね、インドが好景気に沸き、プロのサッカーチーム数が増え、選手のサラリーも上がり始めた時期でした。タイミングはとても良かったです」
 
――孫選手は12年からインドに渡り、14年にはデル・ピエロ選手もデリーでプレーしていましたね。
 
「それに二コラ・アネルカ、ダヴィド・トレゼゲ(いずれも元フランス代表)も来ましたからね。盛り上がりはすごかったです。僕が渡った2012年は、スーパーリーグで外国人選手はプレーできないルールになっていて、その後、改正されていったんです」
 

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