【シャペコエンセ連載・復興への軌跡】第5回「シャペコ市民とファンのサポート」

2017年08月11日 沢田啓明

「事故の直後は悲しすぎて涙も出なかった」。

GKダニーロとの2ショット写真を見せてくれたセリッタさん。いまだに事故のことは消化できていないという。 写真:沢田啓明

 2016年11月28日に起きた事件を、覚えている方は多いはずだ。ブラジルの1部リーグに所属するクラブ、シャペコエンセの一行を乗せた飛行機が墜落し、多くの尊い命が犠牲となったあの大事件だ。
 
 あれから、およそ9か月が経った。クラブ存続の危機に直面したシャペコエンセはしかし、着実に復興へと進んでいる。そして8月15日には、コパ・スダメリカーナ王者として臨むスルガ銀行チャンピオンシップで、浦和レッズと対戦する予定だ。
 
 シャペコエンセの来日を記念してお届けするのは、現地在住のサッカージャーナリスト、沢田啓明氏が飛行機事故からの歩みを追ったドキュメンタリー連載だ。第5回は、市民とサポーターがテーマ。あの事故以来、彼らのクラブ愛はさらに大きくなったという。
 
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 過去4回の連載では、飛行機墜落事故の顛末、クラブの歴史と再建への歩み、チームの現状と未来、近年の快進撃とそれが可能になった理由などに触れてきた。今回の主役は、市民、そしてサポーターだ。彼らがクラブのことをどう考え、今後どう支援しようとしているのかをお伝えしたい。
 
 筆者が初めてシャペコを訪れたのは、昨年の事故の翌日だった。選手たちの遺体がコロンビアから搬送され、合同葬がホームスタジアムで執り行なわれると知り、その模様を取材しようと考えたのである。
 
 シャペコは人口21万人の商工業都市で、南北に貫く大通りが街の中心だ。通り沿いには商店が軒を連ね、すべての店が犠牲者を追悼する装飾を施していた。その中で、天井から選手のユニホーム(のように見えたが、実際は発泡スチロールで作った模造品)をいくつも吊るしている、洒落た店構えのギフト店が目に留まった。
 
 店内に入ってみると、50代後半くらいのエレガントなイタリア系の女性が応対してくれた。その女性、オーナーのセリッタさんは数十年来のシャペコエンセのファンで、夫と共にホームゲームは欠かさず観戦しており、事故で亡くなった選手、クラブ関係者の多くと面識があった。
 
 とくにコパ・スダメリカーナをはじめとする昨シーズンの試合の数々で奇跡的なセーブを連発したGKダニーロの大ファンで、彼が店に買い物に来てくれたときに撮った2ショット写真を見せてくれた。画像に写る彼女の弾けるような笑顔と、その写真を差し出すときの沈鬱な表情のコントラストに、この街の人々がどれだけ選手たちに親しみを抱いていたか、彼らを突然失いどれほどのショックを受けているかを痛感した。クラブの歴史にも詳しいようで、彼女には色々とレクチャーしてもらった。
 
 以来、シャペコを訪れる度に店に赴き、ひとしきり話をするのが習慣だ。やがて親しい友人とのホームパーティーにも招いてくれるようになった。
 
 最近交わしたのは、こんな会話だ。「事故から半年経ったけど、今でもまだ私の中では消化できていないの。事故の直後は、あまりに悲しくて涙も出なかった。1週間くらいしてから、今度は毎日泣いていたわ」
 
 この先、どうやってクラブとチームをサポートするつもりなのだろうか?
 
「クラブとチームが復興していく過程を見守り、これまでと同様、スタジアムで精一杯応援する。私たちにできるのは、それしかないと思うの」
 
 セリッタさんの友人に、以前、サポーターグループの幹部をしていた陽気な好漢がいる。彼の5歳の息子は、なんとチームのマスコットボーイらしい。アレッサンドロ、42歳。本職はアパレル関係で、自宅はシャペコエンセのホームスタジアムの真ん前にあるという。
 
「生まれてこのかた、常にスタジアムのすぐそばに住んでいる。離れられないんだ」
 
 そう言って微笑んだ。
 
 1990年代中頃、友人と共に「ラッサ・ヴェルジ」(緑のガッツ)というサポーターグループを設立。数十人のメンバーとアウェーゲームを含む全試合をスタンドから応援した。10年ほどでグループは解散したが「俺の人生は、常にシャペコエンセと共にある」と語る筋金入りのサポーターだ。
 

次ページ事故後に獲得した初の栄冠。

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