【川口能活クロニクル】心に刺さった岡田監督の言葉、ベテラン勢の犠牲心…――南アフリカW杯・カメルーン戦

2017年07月28日 サッカーダイジェストWeb編集部

最後の望みを懸けた練習試合に出場できず。諦めかけていた代表復帰。

カメルーン戦先制点後の歓喜のシーンは、この大会のハイライトシーンのひとつと言えるだろう。(C) Getty Images

 川口能活、41歳。彼のサッカー人生は、言い換えれば、日本代表の"世界挑戦"の歴史と重ね合わせることができる。絶対に負けられない戦いのなかで、彼はどんなことを考えていたのか。「川口能活クロニクル」と題した、日本サッカー界のレジェンドが振り返る名勝負の知られざる舞台裏――。
 
第8回:2010年南アフリカW杯グループリーグ第1戦 日本 vs カメルーン
 
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 1998年のフランス大会から、ワールドカップという舞台に4大会連続で選出させてもらっています。どの大会も思い出深いものばかりですが、そうしたなか、自分にとって大きなサプライズだったのは、2010年の南アフリカ大会でした。プレーヤー兼チームキャプテンというポジションで臨んだ大会でした。
 
 日本代表の監督が岡田武史監督でなかったら、チームキャプテンを任されることはなかったでしょうし、おそらく僕はメンバー入りすら果たせていなかったと思います。なにせ、当時の僕は、09年1月以来、度重なる怪我に悩まされ、岡田ジャパンには1年半以上も呼ばれていなかったのですから。
 
 南アフリカ大会の最終メンバー発表は、5月10日でした。
 
 当時、僕はジュビロ磐田でプレーしていたのですが、その日までずっと試合復帰できていませんでした。それでも僕は代表復帰を諦めていませんでした。たとえ可能性が1パーセントしかなかったとしても、その数字がゼロでなければ、絶対に戻ってみせると心の中で誓っていたのです。
 
 メンバー発表前日、僕は負傷後初めてフル出場する練習試合に出る予定でした。しかしその直前に右内転筋に張りが出て、出場を回避したのです。この試合に出て90分やれることをアピールしようと思っていましたから、本当にショックでした。
 
 これでもうワールドカップに出られるチャンスは消えてしまった――。弱音を吐くことは決してしないようにしていたのですが、その時ばかりは思わず口にしてしまいました。

次ページメンバー発表前日にかかってきた岡田監督からの電話。

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