【コラム】トッティとローマの「愛の物語」が終焉。それでも王子はまだ「本当の決断」を…

2017年05月30日 片野道郎

「王子様」よりも「第一人者」という言葉が相応しい。

今シーズン限りでローマの選手としては見納め。トッティはセレモニーで涙を堪え切れなかった。写真:Alberto LINGRIA

「ローマの王子」
 
 フランチェスコ・トッティを語る時に、いつもつけられてきた枕詞である。元々のイタリア語は「プリンチペ・ディ・ローマprincipe di Roma」。プリンチペというのは、英語にするとプリンスであり、文字通り「王子」ということになる。したがって「ローマの王子」という日本語訳は、決して間違いではない。
 
 しかし、イタリア語のプリンチペという言葉が持つニュアンスと奥行きは、「王子様」という甘ったるい響きには収まらない、もっとずっしりとした重みを持っている。「小国の君主」、さらには「王とも言うべき人」、「第一人者」という意味までも持つ言葉なのだ。
 
 イタリアの首都ローマに生まれ育ち、13歳で子供の頃から憧れだったジャッロロッソ(黄色と赤=ASローマのチームカラー)の一員となって、わずか16歳でセリエAにデビュー。その後もロマニスタたちの期待と愛情を一身に集めてきた20代前半のトッティは、まさしく「ローマのプリンス」、すなわち王子様だった。
 
 しかし、30代も半ばを越えて成熟した年齢を迎え、ローマのキャプテンとしてピッチに立ち力強く戦っていた時代のトッティには、「王子様」というよりも「第一人者」という言葉の方がずっと相応しかった。「ローマという小国の君主」と呼んでも全く不自然ではないだろう。
 
 とはいうものの、それが「王とも言うべき人」というところまでいくとどうだろう。王ともなれば、ひとつの国家を背負って立ち、国と国とがしのぎを削る国際舞台でその存在感を示す、尊敬すべき偉大なるリーダーでなければならない。客観的に見てトッティにそこまでの威厳と風格が備わっていたかとなると、残念ながら少々疑問符がつくと言わざるをえない。
 
 その最大の理由は、ローマという都市、そしてセリエAというドメスティックな舞台において、常に主役級の活躍を見せてきたにもかかわらず、チャンピオンズ・リーグ(CL)をはじめとするヨーロッパの舞台、そしてイタリア代表の一員として戦った国際舞台では、その真の実力を発揮してビッグスターに相応しい輝きを一度も見せることなく終わったところにある。
 
 CLでは2000年代後半、第1期ルチアーノ・スパレッティ時代のベスト8進出(06-07、07-08)が最高。トッティが4-2-3-1の「ゼロトップ」として新境地を開いた時期だ。常にエースとしての活躍を期待されたイタリア代表でも、怪我によるフィジカルコンディション不良(2002年日韓ワールドカップ、2016年ドイツ・ワールドカップ)、プレッシャーに押し潰されての自滅(ユーロ2004)で、期待を裏切り続けてきた。アッズーリが世界制覇を成し遂げたドイツW杯でも、トッティの見せ場は、ベスト16のオーストラリア戦の延長終了直前に決めた、あのPK1本だけだった。

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