【鹿児島】底知れぬ郷土愛を携えて、“ワンちゃん”の新たな冒険が始まった

2017年04月03日 川原崇(サッカーダイジェストWeb編集部)

「まだまだ成長できるはずだから」の言葉にグッと。

鹿児島の中盤にダイナミズムを生み出す松下。押しも押されもしない中盤の中軸だ。(C)SOCCER DIGEST

[J3リーグ4節]FC東京U-23 1-2 鹿児島/4月2日(日)/夢の島
 
 なかなか均衡が破れなかった51分、気迫でゴールをこじ開けた。FW中原優生の落としを強引に左足でインパクトすると、ボールは相手DFに当たってコースが変わり、ふわりとゴールマウスへ──。
 
 胸のエンブレムをギュッと握り締め、はるばる鹿児島から駆け付けたゴール裏のサポーターの声援に応える。Jリーグの酸いも甘いも知る歴戦のボランチ、松下年宏だ。
 
「こんな遠くまで来てくれるなんて、本当にありがたいし、感謝です。鹿児島のひとはサッカーが大好きなんですよ。そして、むちゃくちゃ熱い。その想いに僕たちは応えなければいけないんです」
 
 長らく、"ワンちゃん"の愛称で親しまれてきた。もともとは京都サンガの布部陽功監督が現役時代、プロ野球のレジェンド・王貞治氏に似ているところから賜ったニックネームだが、ガンバ大阪に入団したての松下を見た先輩連中が、「いや、松下もかなりやろ」と騒ぎ出し、瞬く間に定着してしまったのだ。先制点を挙げて顔をくしゃくしゃにしている松下を見て、ふとそんな、他愛のないエピソードを思い出した。もう15年も前の話だ。
 
 現在、33歳。鹿児島実業高校からG大阪に加入し、ルーキーイヤーから出場機会を得た。兎にも角にも、驚異的なスタミナが自慢。攻守両面に貢献できるボランチで、とりわけ右足から繰り出す精緻なキックが代名詞である。20歳前後の頃は、高校の先輩である遠藤保仁を兄のように慕い、ピッチ内外で薫陶を受けた。G大阪退団後はアルビレックス新潟、FC東京、ベガルタ仙台、横浜FCと渡り歩き、この春に郷土のJクラブ、鹿児島ユナイテッドに活躍の場を移したのだ。
 
 松下の決断を後押しした人物のひとりが、ほかでもない、鹿児島の新監督就任が決まっていた三浦泰年氏だ。
 
「自分を必要としてくれるところでやりたい。そう考えていたなかで、ヤスさんと話をして、グッとくるものがあった。まだまだ成長できるはずだから、って言ってもらえたんですよ。この年齢になってくるとなかなかそうは見られないじゃないですか。最初話したときにそんな会話をして、ヤスさんの下でやってみたい、挑戦してみたいって想いが強くなったんです」
 
 2-1の勝利に終わったJ3リーグ・4節、FC東京U-23戦のあと、三浦監督に訊いてみた。松下のどこに期待し、どんな役割を与えているのか。じつにヤスさんらしい答が返ってきた。
 
「精度の高いキックもそうだし、決定的な仕事ができる選手。それに加えて(鹿児島の)出身者としての存在価値はやはり高いですし、メンタル的にも戦術的にも要求する部分は大きいですね。ただ、今日なんかもまだイージーなミスがあった。彼は33歳ですが、僕は「もう33歳」ではなく、「まだ33歳」だと見ている。もっと成長できますよ。その成長がチームの成長にも間違いなくつながる。だから僕が期待しているところは、ものすごくデカいんです」

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