レジェンドの軌跡 THE LEGEND STORY――第13回・カーン(元ドイツ代表)

2017年01月10日 サッカーダイジェストWeb編集部

自らの手で勝利を掴み、2年前の雪辱と悲願を果たした01年。

強さ、巧さ、俊敏性等を併せ持った闘争心旺盛な守護神。2001年から2年連続で、バロンドールの投票で3位に選出された。 (C) Getty Images

 本誌ワールドサッカーダイジェストと大人気サッカーアプリゲーム・ポケサカとのコラボで毎月お送りしている「レジェンドの言魂」では、サッカー史を彩った偉大なるスーパースターが、自身の栄光に満ちたキャリアを回想しながら、現在のサッカー界にも貴重なアドバイスと激励を送っている。
 
 今回は1月5日発売のワールドサッカーダイジェスト本誌にも登場している連綿と続くドイツ名GKの系譜にその名を残し、クラブ、代表ともに抜群の存在感を示して主役の座に君臨し続けたオリバー・カーンだ。
 
 安定感抜群のセービングでゴールを守り、強烈な個性とリーダーシップで仲間をリードした守護神の偉大なキャリアの軌跡を、ここで振り返ってみよう。
 
――◇――◇――
 
 1969年6月15日、ドイツ南部のカールスルーエで、オリバー・ロルフ・カーンは生を受けた。
 
 ラトビアにルーツを持つ彼は、幼少期はフィールドプレーヤーとしてサッカーを楽しみ、9歳でカールスルーエに入団してからはGKとしての力を磨いていった。
 
 1987ー88シーズン、トップチームのメンバーに名を連ね、下部チームとの二足のわらじを履きながら、経験を積んでいく。プロとしてのデビューは87年11月27日のケルン戦で、4-0の勝利を飾った。
 
 最初の3シーズンはサブ扱いであり、合計して4試合の出場に止まったものの、90-91シーズンにレギュラーに定着。22試合に出場すると、次シーズンは37試合でゴールマウスを守った。
 
 カーンはこの頃からすでにチームをリードする存在であり、モチベーターとしての役割も担っていた。最後尾から味方を鼓舞し、またゴールライン上でスーパーセーブを連発することで、92ー93シーズンにはチームの高順位(6位)に大きな貢献を果たした。
 
 93ー94シーズンには初の欧州カップ戦(UEFAカップ)で準決勝まで駒を進めたカールスルーエにおいて、抜群の存在感を示したカーンは、国内でも注目の守護神となり、間もなくリーガの盟主、バイエルンに迎え入れられることとなった。
 
 バイエルンではファーストシーズンで23試合に出場。すぐに不動の守護神として君臨し、3シーズン目の96-97シーズンに初めてリーグ優勝を経験する。そのキャリアにおいては、98ー99シーズンからの3連覇を含めて計8回、マイスターシャーレ(優勝皿)を手にした。
 
 欧州カップ戦では、95ー96シーズンにUEFAカップを制覇。98ー99シーズンにはチャンピオンズ・リーグ(CL)制覇にも王手をかけたが、マンチェスター・ユナイテッドにアディショナルタイムで同点&逆転を許した「カンプ・ノウの奇跡」により、大きな失意を味わった。
 
 それから2シーズン後、再びCL決勝に進出。サン・シーロでのバレンシア戦はPK戦に突入し、バイエルンは1番手のパウロ・セルジオが失敗する。窮地に立たされたチームを救ったのは、闘志に溢れた守護神だった。
 
 カーンは3番手ズラトコ・ザホビッチ、4番手アメデオ・カルボーニのキックを立て続けにストップ。そしてサドンデスに入ると、7番手マウリシオ・ペジェグリーノのシュートを横っ跳びで弾き返した。
 
 自らの手で2年前の雪辱を果たすとともに、欲しかった欧州王者の称号を手にしたカーンは、同年末に来日を果たし、トヨタカップで南米王者のボカと対戦。延長戦にもつれ込んだ激戦でも好セーブを連発して1ー0の勝利に貢献し、チームを世界一に導くとともに、自身も世界一の守護神へと昇り詰めた。

次ページ決勝では悔いを残したものの、大会MVPに選出された02年。

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