【川崎】小林悠の決断を後押しした中村憲剛、サポーター、そして妻の言葉とは?

2016年12月03日 いしかわ ごう

残留を決断したのは、チャンピオンシップ鹿島戦に敗れた時だった。

「フロンターレというチームでタイトルを獲りたい。他のチームで獲っても……という思いがありました」と小林は語った。写真:小倉直樹(サッカーダイジェスト写真部)

 11月26日、小林悠は自身のブログで川崎フロンターレ残留を明かした。
 
 G大阪、鳥栖、神戸など複数クラブから破格とも言えるオファーを受けていたとされているが、なぜ残留という決断を下したのか。チャンピオンシップ準決勝敗戦後のオフ明けとなった12月1日、本人がその経緯を明かしてくれた。
 
 去就に関する報道が出てからのこの約1か月間、負傷離脱中だったこともあって、報道陣の前では表情が曇りがちだった小林だが、決断に至る思いを語る表情は明るい。
 
「今はすっきりしています。本当に、自分にはもったないぐらいのオファーを頂きました。家族のこと、将来のことも考えて本当に悩みました。どっちにいけば家族として幸せになれるか……今はフロンターレに残ってよかったと思っています」
 
 まず残留を決断したタイミングはいつだったのか。奇しくも、チャンピオンシップ鹿島戦に敗れた時だったという。
 
「一番は、鹿島戦に負けたのをピッチの外で見ていて、『フロンターレでタイトルを獲りたい』と思ったことです。それが一番大きかったですね」
 
 左太腿裏の肉離れの影響により欠場していた小林は、この一戦をスタンドからチームメートと観戦している。敗戦が決まった終了後には、机に顔を突っ伏したまま、長い時間ひとりでうずまっていたという目撃談もあった。そのときの心境をこう明かす。
 
「なんで自分がこのピッチにいられなかったのか……それが悔しくて。フロンターレというチームでタイトルを獲りたい。他のチームで獲っても……という思いがありました」
 
 もっとも、その決断に至るまでは毎日のように悩んだという。心の葛藤があったことをブログでも明かしているが、そんな日々について、少し懐かしそうに振り返る。
 
「本当に毎日(決断が)変わりました。夜、寝る前に色々と考えて眠れなくなったり……考えすぎて、考えるのをやめようと思ったぐらいです(笑)。関係者にも会わせてもらって、いろんな人に相談をして、そのたびにあっちに行ったり、こっちにいったりと考えが変わりました。人生で一番悩んだと思います。一生のことだと思っていたし、これだけ自分を評価してくれるのも今年しかない。だから、本当に悩みました」

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