【日本代表】小林祐希の原点<3>時にはピッチ外に放り出されることも…。彼は多感な少年時代をどう過ごしたか

2016年11月11日 加部 究

「最初にSBをやらせようとした時はめちゃくちゃ嫌そうな顔をしてきました」(富樫)

中学・高校時代は東京Vで技を磨いた。現東京V監督の富樫氏は、喜怒哀楽の激しい少年だったと振り返る。(C) SOCCER DIGEST

 世界大会のメンバーから外れた祐希は、1歳上のチームとともにブラジル遠征に参加している。再び冨樫剛一(現東京V監督)の証言である。
 
「10 番を奪うのは、丸山浩司監督、 中村(忠/現FC東京コーチ兼U-23監督)コーチと3人でしっかり話し合って出した結論でした。この頃の祐希は、険しい山道で必死に歩を進める。そんな状態だったと思います。サッカーに限らずストレスを抱え、何度か爆発した。僕が首根っこを掴まえてピッチの外へ放り出したこともあります。でもそんなことがあると、夜には決まって携帯電話に連絡を入れてくる。ちょっとこういうことで悩んでいて……、ここが上手くいかなくて……、と謝罪をしてきました。そこでいろんな話をして翌日は何食わぬ顔で練習をする。そういう時期だったので、各指導者間ではなるべく祐希の情報を共有し、何かあったらどう対処するか話し合うようにはしていました。クラブにとって重要度の高い選手だという認識は、揺るぎませんでしたからね」
 
 危うい時期にはSBなど、いくつかのポジションに挑戦させている。
 
「SBはアウトサイドの重要性を認識させ、受け手の景色も見ておいてほしかったんです。外からゲームを組み立てたり、3人目の動きをして受けさせたり……、そんな狙いがありました。もちろん最初にSBをやらせようとした時は、メチャクチャ不満そうな顔をしてきました。だからしっかりと狙いは説明するようにしましたね」(冨樫)
 
 雌伏の1年間を経て、祐希は徐々に元気を取り戻していく。3年時に夏のU-15クラブユース選手権(福島Jヴィレッジ)で、SBでプレーをする祐希を見る機会があった。
 
 すでにグループリーグ突破を決めて勝敗に神経質になる必要のない試合だったが、試合後に「SBはないよな」と声をかけると「サイドから組み立てているんです」と満面の笑みを見せた。だが歴代でも最強と目された東京Vは、それぞれクラブユース選手権では京都、全日本ユース(U-15)ではG大阪に、決勝で競り負けて優勝を逃している。特に国立で行なわれた全日本ユース決勝は、祐希自身は鮮やかなゴールを決めたが、すでにユースに昇格していた宇佐美貴史(現アウクスブルク)抜きのG大阪に逆転を許しただけに、まさかの敗戦で涙に暮れた。
 
 だが元日本代表選手らしく、中村は育成年代の選手たちに伝えている。
「結局サッカー選手は、フル代表に入った者勝ちです。それまでの過程では"今はただ思い出作りをしているだけだよ"と話しています。もちろんその時、本人は悔しいでしょう。 でも、僕らは足りないところを指導し続けるだけですからね」

次ページプロになるべく通信制に転入。授業では言葉の使い方にセンスを見せる。

みんなにシェアする
Twitterで更新情報配信中

関連記事