【新潟】初の年間20敗。"地方の凡庸なJクラブ"は改革を進められるのか

2016年11月06日 大中祐二

柳下体制から吉田体制へ。急激な方向転換は正解だったのか?

3連敗でシーズンを終えたが、なんとか残留。年間20敗はクラブワーストだった。写真:徳原隆元

 まさに紙一重だった。最終節、ホームで広島に0-1で敗れたものの、名古屋を得失点差で上回った新潟は、なんとか残留という最低限の目標を達成した。
 
 勝点30での残留は、J1が18チーム制になった2005年以降、最低の数字だ。連勝は一度もなく、年間20敗はクラブワースト。うち2連敗が1度、3連敗、4連敗が2度ずつで、降格した名古屋には第1ステージのアウェー、第2ステージのホームともに敗れている。
 
 結果として残った惨たんたる数字を見ると、最終節に神戸とG大阪を抜き、大逆転で残留した2012年シーズン以上に奇跡的な思いだ。
 
 今年、クラブ創立20周年を迎え、2004年の昇格以来、一度もJ2降格を経験したことのない"地方Jクラブの雄"は、なぜ過去最大のピンチに立たされたのだろうか。
 
 2012年に残留へと導き、3年半チームを率いた柳下正明元監督に代わり、今シーズン、クラブがチームの指揮を託したのは吉田達磨氏だった。長年、柏の下部組織で手腕を発揮。昨シーズンはトップの監督に就任し、1シーズンで退任した。その新指揮官に求めたのは、チームの変革と飛躍である。
 
 吉田前監督は攻守ともに、柳下元監督とは異なる機軸を打ち出した。ポゼッションをより重視する戦いにおいて、可能性の低いミドルシュートが嫌われたのは象徴的といえるかもしれない。
 
 ボールを横に動かしながら、手詰まりになったらいったん下げて、作り直す。セオリー的に正しく、吉田前監督もラファエル・シルバの速さを生かすカウンターを否定したわけではなかった。
 
 しかし、相手の守備ブロック手前で横パスはつながるものの、縦パスがなかなか入れられないと、縦へ、縦へと速く攻める新潟の持ち味が鈍化することにもつながりかねなかった。
 
 攻撃以上に大きく様変わりしたのが守備だ。柳下元監督が人に付くことを強く求め、1対1を重視したのに対し、吉田前監督は「オーガナイズ」のキーワードの下、ブロックを組んで組織で守ることに重きを置いた。

次ページ吉田監督は新たな可能性を示したが、それ以上に新潟のスタイルが影を潜めてしまった。

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