父親の「強欲」で移籍交渉が複雑化…イタリア代表FWは売れ残る寸前だった

2016年11月01日 ジャンルカ・ディ・マルツィオ

父親はそれまでの代理人を切って自らが交渉を行なう。

メルカート終盤の8月28日にウェストハム移籍が決まったザザ。ただ、それまでの経緯は単純ではなかった。(C)Getty Images

 ユベントスがナポリからゴンサロ・イグアインを獲得したため、今夏にイタリア代表FWのシモーネ・ザザはメルカート(移籍市場)に出されることとなった。ご存知の通り最終的にはウェストハムに新天地を求めたが、それまでの経緯は決して単純ではなかった。
 
 この移籍から1ユーロでも多くのカネを懐に入れようと考えたザザの父親が、メルカートが動き出す直前にそれまでの代理人(かつてユーベなどを率いた監督ルイジ・マイフレーディの息子)を切って、すべての交渉をみずから行なったからだ。
 
 ザザの父親は、南イタリアで海水浴場を経営する実業家だが、もちろん移籍交渉に関してはずぶの素人であり、さまざまな手順や手続き、そして商慣行にはまったく不案内。移籍の打診があるたびにそれを持ち込んできた代理人(ミーノ・ライオラからジョバンニ・ブランキーニまで7~8人に上った)に助言をさせながらも、仲介料が発生しないように交渉には自分ひとりで当たった。
 
 ユーベが売りに出しながらも、メルカート閉鎖3日前の8月28日までザザの移籍先がなかなか決まらなかったのは、まさにそれが原因だった。
 
 当初獲得に動いたヴォルフスブルクやナポリは、父親が要求する金額があまりに大きかったのに呆れて獲得を諦めた。ウェストハムとの交渉が成立に至ったのは、イングランドに強い古株の代理人で、ウェストハムの共同オーナーのひとりデイビッド・サリバンと親密な関係にあったヴィンチェンツォ・モラービトが間に入ったからだ。
 
 ウェストハム移籍が決まる直前には、アトレティコ・マドリーが獲得に動き、ディエゴ・シメオネ監督が直々にザザに電話をかけて説得を試みた。
 
 しかし、ザザの父親にはその時点で一から移籍交渉を立ち上げて短時間で成立に持ち込むだけのノウハウを持っていなかった。だから結局、A・マドリー行きは消滅した。

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