レジェンドの軌跡 THE LEGEND STORY――第4回・クライフ(元オランダ代表)

2016年08月25日 サッカーダイジェストWeb編集部

クライフとバルセロナ――相思相愛の関係で両者は結び付いた。

選手として、指導者として、誰よりもサッカー界に多大な影響を与えてきた。 (C) Getty Images

 本誌ワールドサッカーダイジェストと大人気サッカーアプリゲーム・ポケサカとのコラボで毎月お送りしている「レジェンドの言魂」では、サッカー史を彩った偉大なるスーパースターが、自身の栄光に満ちたキャリアを回想しながら、現在のサッカー界にも貴重なアドバイスと激励を送っている。
 
 今回、登場するのは、革新的な「トータルフットボール」を披露したアヤックス、オランダ代表の中核として、またバルセロナではクラブのシンボルとして、サッカー界の歴史を変えたヨハン・クライフだ。
 
 痩身な体躯から繰り出される鮮やかなテクニックと、明晰な頭脳と確固たる信念――。選手としても、人間としても世界を魅了し続けた偉大なるレジェンドの人生を、ここで振り返ろう。
 
――◇――◇――
 
 1947年4月25日、オランダ・アムステルダムに生を受けたクライフ。本名をヘンドリク・ヨハネス・クライフといった。
 
 ストリートサッカーでテクニックを磨き、10歳でアヤックスの下部組織に入団したクライフが、同時に野球もプレーしていたことは、有名な話である。有望な捕手だった彼は「周囲を見て冷静に判断を下せる能力を野球で身に付け、サッカーでも活かせた」と後に語っている。
 
 その後、サッカー一本に絞り、優れた攻撃選手としてユースチームのなかでゴールを量産して頭角を現わした彼のプロデビューは、16歳の時だった。64年11月15日のGVAV戦で、輝かしきキャリアはスタートした。
 
 優れたテクニックと創造性、そして瞬間的なスピードでゴールを奪う他、左右の正確なキックでチャンスを作り、状況判断の良さで試合をコントロールしたクライフ。そのプレー域は最前線から最後尾までと非常に広かった。
 
 64~73年、81~83年に在籍したアヤックスでは8度のリーグ優勝に貢献した他、71年からチャンピオンズ・カップ(現リーグ)3連覇にチームを導き、72年には南米王者インデペンディエンテを下して世界制覇も成し遂げた。
 
 そして73年、バルセロナへ移籍。宿敵レアル・マドリーに大きく水を開けられ、新たな起爆剤を欲していたバルサにとって、クライフはこれ以上ない最高の助っ人だった。クライフもまた、アヤックス離脱を望んでおり、相思相愛の関係で両者は結び付いた。
 
 アヤックス時代、そしてオランダ代表のボスでもあった名将リヌス・ミケルスの下、クライフは1年目から能力を十分に発揮し、バルサに14年ぶりのリーグ優勝をもたらす。そのプレーはサポーターたちを魅了し、クライフも彼らの熱意と愛情の虜となっていった。
 
 彼がこのクラブで勝ち取ったタイトルは、このリーグ優勝と77-78シーズンのコパ・デル・レイ1回だけである。しかし、クライフが体現し、チームに浸透させた勝利と美しいサッカーへの拘りは、その後、バルサの哲学となり、次世代に受け継がれていくこととなった。
 
 78年に現役引退を表明したクライフは、しばらくビジネスの世界に身を投じていたが、79年にアメリカNASLのロサンゼルス・アズテックスで復帰を果たし、翌年はワシントン・ディプロマッツに移って、来日も果たしている。
 
 その後、スペイン2部リーグのレバンテ、再度ワシントンを経て、81年にアヤックスに復帰。ここでの2シーズンでいずれもリーグを制し、最後は古巣の最大のライバルであるフェイエノールトでリーグ&カップの二冠を達成し、今度こそ本当にピッチに別れを告げた。

次ページ英雄は記憶と心のなかで生き続け、永遠に語り継がれていく。

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