[本田泰人の眼]鹿島の優勝、最大の立役者は鬼木監督だ。MVPは鈴木優磨。誰よりも勝利のために身を捧げてきた。あんなにチーム愛がある選手はいない

2025年12月08日 本田泰人

「頑張れよ!」とLINE。「死ぬ物狂いで頑張ります!」

鬼木監督、優勝おめでとう! 就任1年目でタイトルをもたらした鬼木監督の手腕は見事と言うしかない。写真:金子拓弥(サッカーダイジェスト写真部)

 待ちに待った瞬間だ。

 J1リーグ最終節、鹿島アントラーズがホームで横浜F・マリノスを2-1で下し、2016年以来9年ぶり9度目のリーグ優勝を成し遂げた。

 最大の立役者は、監督の鬼木達をおいてほかにない。

 今回の優勝は、鬼木監督にとって、川崎フロンターレ時代を含む国内最多8冠目。複数クラブでのJ1優勝は史上初のこと。

 それも就任1年目にして実現したのだから、見事と言うしかない。

 鬼木監督が来るまで、鹿島は8年に及ぶ長いトンネルから抜け出せずにいた。欧州路線に変更した時期があったり、毎年のようにコロコロと監督を交代したりするなど、方向性が定まらないチーム強化が続いた。J2降格こそなかったものの、案の定、「強いアントラーズ」は影を潜めることになった。

「このままでは危ない」

 私は鹿島OB会長としてずっと心配していた。鹿島には「ジーコの教え」が根底にある。ジーコのおかげでこの鹿島がある。徹底して勝負にこだわるジーコイズムを体現するには、そのイズムを知る指揮官が必要だ。

 今オフ、中田浩二が鹿島のフットボールダイレクターに就任。昨年からオファーを出していたが、ようやく「鬼木招聘」に成功したのだ。
 
「鬼木さんが来てくれることになりました!」

 中田FDからそんな連絡をもらった瞬間、私は「よし!」と思わず拳を握りしめた。「これで優勝できる! 強い鹿島が戻る!」と。

 シーズン前、私は『サッカーダイジェストWeb』のJ1リーグ順位予想で、鹿島を優勝候補筆頭に挙げた。「鹿島が優勝する」と予想した理由として、「鬼木監督は鹿島イズムを知る指揮官であること」を挙げた。

 最大の補強となった鬼木監督は、個人的にも現役時代に先輩として可愛がっていた後輩だ。今も会えば元気に挨拶してくれる。今オフに就任した時も「頑張れよ!」とLINEしたら、「はい、分かりました! 死ぬ物狂いで頑張ります!」と返してくれた。

 彼との出会い――Jリーグが開幕した1993年、市立船橋高から鹿島に入団してきた。鹿島での鬼木は、出場機会を得られずに苦しんだ。

 それも当然だ。鬼木の本来のポジションは攻撃的MF。しかし、そこにはジーコ、アルシンド、石井正忠、吉田康弘らタレントが豊富だった。

 どうすれば試合に出られるのか。鬼木はサテライトリーグで経験を積みながら、サイドバックやボランチなどにも挑戦。しかし在籍した計6シーズンで残した結果は、公式戦38試合出場で2得点。レギュラーの座を最後まで掴めず、その後、彼は出場機会を求めて川崎に移籍した。鹿島で芽が出なくて川崎で花が開いたわけだけど、鹿島イズムの理解者だ。

 シーズン前、彼は「当時がなかったら今はない」「勝負というものを鹿島で一番学んだ」と話していたが、あの時の悔しさは、誰よりも鬼木本人が感じていたはずだ。

 鬼木が招聘された時点で「優勝」という二文字しかなかった。鬼木本人も、鹿島に監督として呼び戻されることは、タイトル奪取、言い換えれば、ジーコイズムを取り戻すことだと理解していた。

 たとえば、春のキャンプで鬼木監督は「止める・蹴る」の基本技術を徹底させた。今の時代の選手は、「え! できているのに」と驚いたかもしれない。しかしこれは、ジーコが鹿島にやって来た時から実践してきたことだ。

 湘南ベルマーレとの開幕戦は0-1で負けたが、その後は4連勝とスタートダッシュに成功した。

 安西幸輝ら怪我人が続出するアクシデントや、二度の3連敗を喫するなど、苦しい時期もあった。しかしジーコイズムが着実に浸透してきた夏以降、「負けない鹿島」が復活。7月20日の24節以降、一度も失速することなく、最終節まで15戦無敗という驚異的なペースで勝点を積み上げてみせた。
 

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