20歳ストライカー後藤啓介の原点。あの時、ヤマハスタジアムで語った「W杯優勝」の夢は、一本の線となって続いている【日本代表】

2025年11月08日 河治良幸

前田大然を手本にした“諦めない走り”

A代表に初選出の後藤。「最後に得点を取れるのが彼の良いところ」と森保監督は評価。 (C)Mutsu FOTOGRAFIA

 2025年11月、日本代表に新たな顔が加わった。シント=トロイデンでプレーする20歳のストライカー後藤啓介だ。

「ずっと目標にしてましたし、ここに選ばれるためにシント=トロイデンに来たというのが一つあるので。率直に嬉しく思います。プレッシャーというか、もう自分が一番下手なのは分かってるので。今、自分が持ってるものを全て出し切れるようにという準備をして、頑張ってきたい」

 今回の選出を受けて、クラブを通してそうコメントした後藤は、今からおよそ3年前、ジュビロ磐田のトップチームへの加入(2種登録)会見で、「自分の夢はワールドカップ優勝なので。上手い選手たちから良いところを盗みながら、どんどん超えていきたい」と語っている。そこから後藤の成長は目の前を過ぎ去る風のようだった。

 静岡県の浜松で生まれ、幼少時から熱狂的な磐田サポーターであり、小学校からジュビロのサッカースクールに通い、U-15から正式にアカデミーの選手としてスキルを磨いた。2019年にU-15日本代表に選ばれると、当時はボランチもこなすポリバレントな才能で評価を高めていたが、コロナ禍のためU-17W杯のアジア予選がなくなり、その才能が国際舞台でお披露目されることはなかった。

 しかし、後藤自身は成長を続けて、2022年には天皇杯の東京ヴェルディ戦でトップデビュー。翌23年には正式にトップ昇格を果たすと、ファジアーノ岡山との開幕戦で2得点したのを皮切りに、高校生JリーガーとしてJ2の舞台を戦い抜き、リーグ戦7得点。J1昇格の原動力となった。その過程で、後藤は苦い経験をしている。
 
 同年の夏に開催されたU-20W杯を直前に控えた東京V戦で、負傷交代を強いられたのだ。長いシーズンを考えたら、大きな怪我ではないかもしれない。しかし、世界大会に向けた最終選考の最中という最悪のタイミングだった。そこから1か月後のブラウブリッツ秋田戦で復帰、次のベガルタ仙台戦では3月に行なわれた清水エスパルスとの静岡ダービー以来の得点を決めたが、そこからしばらくゴールが遠かった。

 外目には順風満帆に見えても、どんな選手でも苦しい時期というのはある。後藤にとって、まさしくこの時期がそうだったと言えるかもしれない。転機は2023年8月のFC町田ゼルビア戦だった。この年、J2優勝を果たす町田にアウェーで1-2の敗戦を喫したが、途中投入された後藤が、1点を返す松原后のゴールをアシストした。

「がむしゃらに追い続けたからこそボールが来た」と後藤は振り返る。結果を引き寄せたのは、前田大然を手本にした"諦めない走り"だった。後藤の背中を押したのは、実際に森保ジャパンで前田を指導していた横内昭展監督(当時)だ。「全部を直そうとしなくても、何か1つ戻せば、自然と戻ってくると思うから。何か1つ直せるようにしよう」。その言葉が後藤の身体を前に向けた。

「本当にワールドカップの前田大然じゃないですけど、がむしゃらにボールを追って、チームのために走って。どんなボールでも諦めずに追ってというふうにやっていれば、自分も何かあるんじゃないかなって。そこはシーズン前にできていた部分だったのに、試合を重ねるなかでできなくなっていったと思う。

 そこを直そうと思ってやったら、負けはしましたけどアシストできた。継続して必死にやる。ボールを思い切り追いかけて、笛が鳴るまであきらめないというところを今後、やり続けたい」

 その後藤を見守ってきた横内監督は「啓介は年齢に関係なく戦力になる選手。前線でターゲットになれるし、裏へ抜ける動きも鋭い。技術的にも高いものを持っている。ただ、強度や駆け引きの部分はまだ伸びる余地がある。だけど、彼は本当に貪欲。失敗を恐れずトライし続けることで、どこまでも成長できる」と期待を寄せていた。

 カタールW杯まで森保ジャパンの参謀として、東京五輪世代の三笘薫や上田綺世らの成長を見てきた横内監督の言葉は、後藤にも重く響いていたはずだ。その横内監督からも評価と信頼を勝ち取り、昇格のかかるラスト2試合で先発フル出場という大役を果たした後藤は、夢を追いかけるために、海外挑戦を決断する。
 

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