「日本一の監督を目ざします」ベルギーで指導者研修の元日本代表MFが貫く“橋渡し役としてのイズム”。「いずれ、社長とかTDはどうですか」の問いには?【現地発】

2025年10月30日 中田徹

「フォーマットは一度作ると形ができる。少しずつ本人のやりたい形に変えていけばいい」

STVVの練習ピッチで笑顔の記念撮影。左から後藤、畑、橋本氏、谷口、そして山本だ。写真:本人提供

 2023年1月、プロとして25年間もの長きに渡る現役生活に終止符を打った橋本英郎は、この秋、ベルギーにいた。その目的はJFA(日本サッカー協会)Proライセンス取得に必修の国外研修をシント=トロイデン(以下STVV)で受けるため。今季のSTVVは7人の日本人選手、アカデミー出身選手、外国籍選手の力が噛み合って、コンスタントに5位前後の順位を維持している。

 立石敬之CEO、高野剛アカデミー責任者をはじめ、コーチ、スカウト、フィジオ、分析、広報、営業など多くの日本人が支えるこのクラブ。彼らとの交流はもちろんのこと、橋本は「ワウター・フランケン監督とのインタビューもあるんです。これが今回の研修で一番大切なことかもしれません」と、ベルギーで名の知られる指揮官との対話を楽しみにしていた。

 STVVとヘンクのリンブルフ・ダービーを視察した夜、私は橋本とインタビューする機会を得た。『引退試合』『自身が運営するサッカークラブ&スクール』『慈善活動』をテーマに話を伺い、彼の人となりを少しでも知り、指導者としての橋本英郎に思いを馳せることにした。

 2023年12月、パナソニックスタジアム吹田で行なわれた橋本の引退試合には1万2164人もの観衆が集まった。『ガンバ大阪’05』と『日本代表フレンズ』の間で生まれたゴール数は実に12。4ゴールを記録した橋本は試合後、観客席から労いの言葉をかけるファンに「来てくれてありがとう!」と笑顔を振りまきながらピッチを去った。

 そんな楽しいムードの引退試合だったが、試合前、橋本が感極まって声を詰まらせるシーンがあった。それは、この引退試合に関わったガンバ大阪のスタッフに集まってもらって挨拶したとき。

「おはようございます! 正直、もう泣きそうになってます。皆さんがいるから、今日、この時間ができました。『ガンバと関わるとこういう時間を作ってもらえる』と感じてもらえたらな――と思います。今日一日、長いですが、よろしくお願いいたします」
 
 これまで、ガンバ大阪で引退試合をしたくても、諸所の理由により開催できなかったOBが何人もいた。橋本も「私自身がスター選手ではなかったので、集客面・スポンサー獲得のことを鑑みても引退試合の実現は難しいと思ってました」と、当時を振り返る。しかも彼は2011年に退団してから、11年という長い期間、ガンバ大阪を離れていた。それでも、引退試合の場に選んだのはジュニアユースから20年間プレーしたガンバ大阪だった。

「引退試合をどこでやるか? と考えると、自分にとってやはりガンバでした。これだけ長くクラブから離れていた選手が引退試合をしたのは異例だと思ってます。あと、ガンバが引退試合をやったことがなかったんですよ。僕は"その初めて"をやってみたかったので、けっこう頑張ってやりました。

 ガンバ大阪に相談したところ、快く承諾してくれたうえ、親会社のパナソニックスポーツにも掛け合ってくれ、私の引退試合が実現しました。現場サイドでは、私がガンバでプレーしていたときの社員の方々が部長に昇進していて、いろいろと話が進めやすかったのは助かりました。一方、引退試合当日、現場で働いてくれたスタッフは、私が退団した後に入社した人が多く、私との接点がありません。そういう人たちが自分のために働いてくれて、一つのエンタメ作りを準備してくれたのが、私には嬉しかったので感情的になりました。そこからは楽しむだけのゾーンでした」

 これを契機に、今後もガンバ大阪で引退試合をする選手が続くことを橋本は期待すると同時に、本人にとっても引退試合興行のノウハウが溜まった。

「引退試合はよくできたなあと思います。今も何人かの引退試合を手伝ったりしてるので、自分にとってもいい経験になりました。フォーマットは一度作ると、ある程度、形ができますので、少しずつ本人のやりたい形に変えていけばいい。実は私の場合も、鈴木啓太さんのフォーマットを参考にさせてもらいました」

次ページスモールステップアップを積み重ね、日本代表メンバーまでたどり着いた

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