右膝手術からリハビリ、違和感、再手術… 幾多の困難に直面した松原健が落選の先に見据えるもの

2016年07月03日 多田哲平(サッカーダイジェスト)

「僕もそのメンバーのなかに居たので、発表された時はすごい悔しかったです」

南アフリカ戦では88分のクロスが唯一の見せ場だった。本大会メンバーに滑り込むためにアピールに燃えていたが……。写真:茂木あきら(サッカーダイジェスト写真部)

 7月1日リオ五輪メンバー発表が行なわれ、ブラジルに渡る18名が発表された。そのメンバーリストを見ると、オーバーエイジの塩谷司(広島)、藤春廣輝(G大阪)、興梠慎三(浦和)を除けば、そのほとんどが今年1月にカタールで開催されたリオ五輪最終予選のメンバーだ。唯一最終予選を怪我で欠場した中村航輔(柏)も、当初は最終予選の招集メンバーに入っていた。
 
 そんななか、新潟の松原健は、最終予選をともに戦いつつも本大会メンバーから漏れ、涙を飲んだ。松原は大分の下部組織で育ち、各年代の代表に選出され、U-17ワールドカップも経験。さらに、2014年9月のキリンチャレンジカップではA代表に選出されるほどの実力者だ。
 
 とはいえ、松原には常に故障という足枷がつきまとってきた。昨年4月に重傷を負った右膝を手術し、同10月にリハビリを経て復帰。今年1月の最終予選に間に合わせたが、右膝の違和感から1試合の出場に留まった。

 カタールから帰国後に右膝外側半月板を再手術。忸怩たる思いを抱えながらもリハビリに精を出し、5月に戦列復帰すると、その後はクラブでもリーグ戦3試合とルヴァンカップ1試合でフル出場するなど順調にコンディションを上げていた。そして6月29日の南アフリカ戦のメンバーに招集される。
 
 ただ、南アフリカ戦ではスタメン出場とはいかず、67分からピッチに立った。交代選手のなかでは79分に出場した鈴木武蔵(新潟)の次に遅い出場だった。最終予選を戦ったメンバーが活躍するなか、燃えていたはずだが、限られた出場時間で決してアピールに成功したとは言えなかった。
 
 そして落選。
 
 それでも、松原は前を向く。
 「(本大会に選ばれたメンバーは)激闘の最終予選を戦い抜いたメンバーがほとんどですし、僕もそのメンバーのなかに居たので、発表された時はすごい悔しかったです。でもこれが今の自分の置かれた立場、そして実力だというのをしっかり受け止めて、次に向かうしかないので、そこらへんはすごい前向きです」
 
 挫折を繰り返してきたからこそ、その言葉には重みがあった。その表情には悔しさだけでなく、すでに再起への覚悟が見て取れた。
 
「ここでずっとウジウジしてても、自分に成長はないと思ってるので、しっかり切り替えて頑張ります」
 
 成長あるのみ――数々の困難を乗り越えてきた松原には、五輪のその先が見えているのかもしれない。
 
取材・文:多田哲平(サッカーダイジェストWEB編集部)
 
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