「昔は、できないものをできるかのように…」栗原勇蔵が感じる日本代表の成長。堂々とW杯優勝を宣言、かつてとの違いを生んでいるのは――

2025年04月25日 有園僚真(サッカーダイジェストWeb編集部)

「海外の選手との試合に慣れていないので、それだけで面食らっていた」

栗原氏への45分間のインタビューを5回に渡ってお送りしてきた。今回が最終回だ。写真:梅月智史(サッカーダイジェスト写真部)

 横浜で生まれ、横浜で育ち、そして今も――。栗原勇蔵氏のキャリアは、紛れもなくトリコロール一色だ。

 現在41歳の栗原氏は、中学1年生だった1996年に横浜F・マリノスのアカデミーに加入し、2002年にトップチームに昇格。それ以来CBとして、屈強なフィジカルと闘争心を前面に押し出したプレーを続け、自身15年ぶり3度目のJ1リーグ制覇を果たした2019年にユニホームを脱ぐまで、F・マリノス一筋で446試合に出場した。

 日本代表としても活躍。2006年にイビチャ・オシム監督から初招集を受けた後、主にアルベルト・ザッケローニ監督の下で代表キャリアを築き、20キャップをマークした。

 現役引退後は、F・マリノスのクラブシップ・キャプテンとして、ファン・サポーターにより近い立場で活動を続けていたが、今年からチーム統括本部のスタッフに。5年ぶりに現場に復帰し、自身の経験を還元する日々を送るなか、話を訊いた。

【#1】優勝とともに引退から5年。コロナに翻弄され――栗原勇蔵の今。なぜ再び"前線"に立つのか「自分に何ができるかを考えた」

【#2】「移籍を考えたことは"ほぼ"ない」今もF・マリノス一筋の栗原勇蔵が明かす真実。ワンクラブマン、レジェンド、横浜市、海外からオファーの話

【#3】積み重ねた約500試合。でも栗原勇蔵にとって最も印象的な試合はその中にはない。唖然とさせられたのは2010年「本当にいるんだな」

【#4】「生きて帰れるのかな」「本当の意味のアウェイは、あの国が唯一」やはり相当強烈…元日本代表DFが北朝鮮遠征を回想「印象的なエピソードしかない」

――◆――◆――
 
 W杯出場――。それはほぼ全てのサッカー選手にとっての目標で、指標となる。ただ、その夢を叶えられるのは、ごくごく一握り。そもそも日本代表入り自体がものすごく高いハードルだ。

 栗原氏は18年のプロキャリアにおいて、第一関門は突破したものの、その先の切符は掴めなかった。今、代表キャリアを改めて振り返ると、どういった想いになるのだろうか。

「子どもの頃の目標が何個かあって、最終目標はワールドカップに出ることでした。そこには到達できなかったですが、日本代表に入ることも夢だったので、20試合に出場できたのは、自分の中では本当に出来すぎなくらいです。ベンチで見た試合を含めればもっと多いし、すごく良い経験をさせてもらったなと思っています」

 栗原氏が最後にプレーをしたザックジャパン以降、アギーレジャパン、ハリルジャパン、西野ジャパンと移り変わり、今日では第二次森保ジャパンが、圧倒的な強さで北中米W杯予選を勝ち抜いた。栗原氏は、自身の世代との差は、海外での経験値にあると見ている。

「ここ数年で明らかに、誰が見てもレベルが上がっていますし、海外でプレーする選手が圧倒的に多いです。昔は海外の選手との試合に慣れていないので、それだけで面食らったりしていましたが、今は堂々と渡り合っていて、本当に成長したなと思います。選手ももちろんですが、中長期的に計画していた日本サッカー協会、そこがしっかりしています。育成面などを含めての成功が大きいんじゃないかなと思っています」

次ページ栗原勇蔵はこの先、どんなキャリアを送るのか。指導者になる考えは?

みんなにシェアする
Twitterで更新情報配信中

関連記事