中島翔哉がリハビリ中に恩師へ語ったブレない情熱。「俺、オリンピックに行きますよ」

2016年07月01日 小田智史(サッカーダイジェスト)

「翔哉は出そうとしていなくても、サッカーが好きなオーラが滲み出ている」(安間コーチ)

南アフリカ戦で2ゴールを挙げ、矢島から「10番」を奪還。慣れ親しんだ背番号で待ち望んでいた世界との戦いに挑む。 写真:茂木あきら(サッカーダイジェスト写真部)

 7月1日、リオデジャネイロ五輪に臨む日本代表の最終メンバー18人が決定し、チームの立ち上げから攻撃を牽引してきた中島翔哉は、見事ブラジル行きの切符を手にした。6月29日の南アフリカ戦では2ゴールをマーク。健在ぶりをアピールしている。

 2014年の富山時代は選手と監督、2015年からはFC東京で選手とコーチとして信頼関係を築き、中島も「思ったことを言ってくれるのでありがたいです」と感謝する安間貴義コーチ(兼FC東京U-23監督)に"サッカー小僧・中島翔哉"を語ってもらった。

【リオ五輪PHOTO】正式登録メンバー18人が決定!

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 今回、翔哉がオリンピックの最終メンバーに選ばれたということで、指導者として、そして同じ"サッカー仲間"として、とても嬉しく思います。

 彼を見ていれば、サッカーが好きだと分かる。「〇〇の試合の〇〇を観た」「あの試合は〇〇だった」と、話す内容や質問がサッカーの話ばかり(笑)。他にも、ちょっとしたすれ違いでもドリブルで抜きに来たり、急にワンツーをしてきたり、すぐにボールで絡んできます。靴が茶色く汚れている時があるんですが、あれは絶対にどこかの公園でサッカーをやってきている。余っている時間はすべてボールを触りたい――。出そうとしていなくても、(サッカーが)好きなオーラが滲み出ているんです。

 翔哉との出会いは、私が富山で監督をしていた2012年まで遡ります。10月の天皇杯3回戦(清水×東京V)に白崎(凌兵/清水)を見に行った時、(東京Vの)トップ下にピッチを縦横無尽に動き回って、ドリブルでグイグイ仕掛けていた小柄な選手が翔哉でした。近年はパスを志向するスタイルが主流のなか、「突破」という自分の特長を出そうとする面白い選手がいるなと。

次ページ“原点回帰”のきっかけは富山にあり。

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