「8番の重みは軽々しく言えない」柿谷曜一朗が“我が家”に戻り、泣き笑いの引退会見。香川は「一緒にやった日々はすごい大事な時間だった」と感謝

2025年01月23日 元川悦子

60分間の会見、20分間の囲み取材

引退会見に臨んだ柿谷。決断の理由などを語った。写真:元川悦子

 16歳だった2006年にセレッソ大阪でプロ契約を結び、徳島ヴォルティス、FCバーゼル、名古屋グランパスの4クラブで19年間の現役生活を過ごした柿谷曜一朗。日本代表として2014年ブラジル・ワールドカップにも参戦し、世界最高峰の舞台も経験した。

 2007年U-17W杯のフランス戦、ハーフウェーライン付近からのループシュートに始まり、C大阪時代の2016年3月の群馬戦でのヒール弾、21年11月に名古屋の一員として古巣のC大阪相手に決めたオーバーヘッド弾など、数々の記憶に残るプレーを披露。その一挙手一投足は紛れもなく天才と言っていいものだった。

 その彼が1月23日にC大阪の本拠地・ヨドコウ桜スタジアムで引退会見を実施。4歳から過ごした"我が家"で区切りの機会を持ちたいと本人が熱望。16日にクラブに申し入れ、1週間で盛大な場が設けられた。そのことに心から感謝しつつ、柿谷は60分間の会見、そして20分間の囲み取材で偽らざる胸の内をさらけ出した。
 
「僕はサッカーがすごく楽しくて、簡単で、こんなに自分に合ったスポーツはないと思ってやってきたけど、数年前からしんどくて、難しくて、僕が長年、ボールを追いかけてきたような状態じゃないなと思うようになった。

 サッカーに対する熱が冷めたわけじゃないし、いくつかオファーを出してくれたチームもあったけど、中途半端にプレーするのは違うかなと。『上に行くぞ』という気持ちでやっている選手と、今の自分が一緒にやれるのかな...』という気持ちも1月になってから大きくなってきて、ここはもう引退を決めるしかないなと思いました」

 柿谷は12月から1月にかけての心の動きを述懐した。12月21日の南雄太氏の引退試合の際は「やめへんよ」と言っていただけに、「まだまだやれるのに」「35歳になったばかりでユニホームを脱ぐのは早すぎる」という声も少なくなかった。が、本人はこのタイミングで次のステージに進むのがベストと判断。引退という大きな決断したという。

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