本田にとって「ミランでの5人目の監督」。クリスティアン・ブロッキってどんな人?

2016年04月12日 片野道郎

積極的にボールを支配して主導権を握って戦うサッカーを志向する。

ドンナルンマやロカテッリをトップチームに送り込むなど、育成部門の指揮官として実績を残してきたブロッキ。攻撃的なサッカースタイルもベルルスコーニが気に入っている理由のひとつだ。写真:Alberto LINGRIA

 ミランのオーナーであるシルビオ・ベルルスコーニは4月11日夜、ミラノ郊外アルコレの自邸にアドリアーノ・ガッリアーニ副会長、プリマベーラ(U-19)のクリスティアン・ブロッキ監督を招集。夕食のテーブルを囲みながら3時間に渡って話し合いを持った。
 
 内容はブロッキのトップチーム監督昇格を前提とした今シーズン残り7試合(セリエA6試合+コッパ・イタリア決勝)、そして来シーズンに向けた構想。ベルルスコーニはかねてからシニシャ・ミハイロビッチ監督の仕事(まず結果、そしてサッカーのコンセプトそれ自体)に不満を持っており、公の場で監督批判を繰り返すなど、すでに今シーズン終了後の解任は必至と見られていた。
 
 そして、4月9日のユベントス戦に敗れたことで監督交代の決断が早まった結果、4月12日、ミハイロビッチの解任とブロッキの内部昇格に踏み切った。
 
 新監督のブロッキは1976年生まれの40歳。現役時代は運動量と戦術眼を武器とする頭脳的でハードワーキングなMFだった。ミランの育成部門で育った後、下部リーグへのレンタルから、ヴェローナ、インテルを経て2001年夏、アンドレス・グリエルミンピエトロとの交換でアンドレア・ピルロと共に古巣への復帰を果たす。それから、フィオレンティーナへのレンタルを間に1年挟んで計6シーズンをミランで過ごし、チャンピオンズ・リーグ優勝2回、スクデット1回など多くのタイトル獲得に貢献した。
 
 同タイプのジェンナーロ・ガットゥーゾにポジションを塞がれていたこともあり、ほぼ常に控えのセントラルMFという位置づけだったが、当時のカルロ・アンチェロッティ監督からの信頼は常に厚かった。2008年にラツィオに移籍して5シーズンを戦い、2013年に37歳で現役引退した。
 
 スパイクを脱いだ後は、すぐにミランの育成部門で指導者としてのキャリアをスタート。13-14シーズンにはアッリエービ(U-17)監督を務め、翌14-15シーズンからはトップチーム監督に昇格したフィリッポ・インザーギに代わって、育成部門のトップカテゴリーであるプリマベーラを率いていた。
 
 監督としては、4バックと3MFのシステム(4-3-3、4-3-1-2)をベースに、積極的にボールを支配して主導権を握って戦うスタイルを打ち出してきた。まだ15歳だったGKジャンルイジ・ドンナルンマをプリマベーラに引き上げてトップチーム昇格への道筋を作ると、さらにミランの将来を担うと期待される司令塔マヌエル・ロカテッリを育ててトップチームに送り込むなど、指導者としての手腕も評価されている。

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