岡崎慎司が日本サッカーにもたらしたモノは? その足跡には育成の重要なヒントがちりばめられているはずだ

2024年03月05日 加部 究

フィジカルもテクニックも平凡。だからこそ…

今季限りでの現役引退を発表した岡崎。その足跡から見えたのは…。(C)SOCCER DIGEST

 岡崎慎司が今季限りでの現役引退を発表した。

 37歳の岡崎は、2005年に清水エスパルスでプロキャリアをスタートすると、2011年以降はヨーロッパを渡り歩く。ドイツのシュツットガルトとマインツ、イングランドのレスター、スペインのウエスカとカルタヘナでプレー。現在はベルギーのシント=トロイデンに所属する。

 日本代表としても長年、チームを牽引し、国際Aマッチには通算119試合に出場、歴代3位の50得点をマーク。ワールドカップにも3大会連続で出場した偉大なストライカーが、日本サッカーにもたらしたモノとは――。

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 岡崎の最大の武器は、破格の「やる気スイッチ」だったようだ。

 兵庫県立滝川二高を卒業し、プロ入りをした時、清水エスパルスでコーチを務めていた吉永一明(現・アルビレックス新潟シンガポール監督)氏は当時のことを鮮明に覚えている。

 入団会見では得意技を「ダイビングヘッド」と答えて掴みを取るが、故障をしているうえに足も遅くて「大丈夫か?」と、しばらくは出来の悪い子を気にかける親のような目線が続いた。

 ところが連日、自主トレの時間を確保し、実際の試合に即した様々なリアリティのあるシュート練習を根気良く続けていくと、少ない出場時間でも必ずゴールという成果を挙げるようになる。気がつけば1年後には、天皇杯決勝で公式戦初スタメンの座を獲得。やがて北京五輪の代表に食い込むと、フル代表にも引き上げられ、23歳で欧州進出(シュツットガルト)を果たしていた。

 フィジカルもテクニックも平凡だった岡崎は、だからこそ斯界で生き抜く術を必死に模索した。

 すでに1年目のオフには、自腹を切ってスプリント指導を受け、動き出しの速さが格段に増し、「肉体も驚くほど変わった」(吉永氏)というから、課題抽出能力、危機感、それに行動力は群を抜いていた。

 運動能力ではプロの基準を満たしていなかったかもしれないが、少なくとも十代でプロが何を成すべきかを思考する力と、それを全力で実践し続ける強烈な意思の力が備わっていた。そして、こうした基盤があるから、どんなレベルでも自分がチームに最も貢献できる方法を見つけ出し、体現することが出来たに違いない。

 2シーズン連続して2桁得点を記録したマインツでは、日本人には珍しく真ん中のストライカーとしての評価を確立した。

 しかし、ブンデスリーガではチーム最大の得点源だった選手が、レスターでは最前線で守備のスイッチを入れ、空走りを繰り返すことでジェイミー・ヴァーディーやリヤド・マフレズを輝かせて、奇跡のプレミア制覇に繋げている。
【PHOTO】"ミラクル・レスター"影のヒーロー!現役引退を発表した岡崎慎司の高校時代から現在を厳選ショットで振り返る!2004-2024

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