「相手にしてもらえなかった」48年前、日本サッカー界の招待に初めて応じてくれた欧州代表チームが来日!“ブルガリア代表3連戦”に想いを馳せて【コラム】

2024年01月25日 石川聡

【今日は何の日?】1976年1月25日:ブルガリア代表が初来日! 国立競技場で日本代表との3連戦初戦に臨んだ

日本とブルガリアは通算6度も対戦。通算成績は日本の1勝1分け4敗だ(写真は2013年の試合で右が香川真司)。(C)Getty Images

 今や日本代表が公式に対戦する相手といえば、国の代表チームと相場が決まっている。FIFAワールドカップやAFCアジアカップの予選、本大会で戦うのはもちろん、キリンチャレンジカップのような国際親善試合でも、毎年のように世界各地域から代表が来日する。

 だが、日本サッカーのプロ化が進展する以前において、欧州や南米といった先進国の代表チームと試合を行なうのは、非常に稀なケースだった。「相手にしてもらえなかった」というのが正直なところだろう。そんな日本側の招待に応じた初めての欧州の代表チームが、今から48年前、1976年1月のブルガリア代表。その25日が3連戦の初戦だった。

 なお、日本代表が初めてホームに欧州の代表を迎えたのは、1961年11月28日のユーゴスラビア。翌年に控えたワールドカップ・チリ大会の予選で、韓国との大陸間プレーオフをソウルで戦った東欧の強豪が、その帰途、日本に立ち寄って国立競技場で試合をした(日本が0-1で敗戦)。

 ブルガリアを招いた3試合は「朝日国際サッカー大会」の名の下に開催された。日本サッカー協会と朝日新聞社の主催だ。1965年からほぼ毎年のように開かれ、1978年まで日本代表などに貴重な国際経験の場を提供した。当初は主に北欧、東欧のクラブチームが中心で、異なる2か国からチームを招いて「三国対抗」の形式で行なわれたこともある。

 今でこそブルガリアは1998年フランス大会を最後にワールドカップから遠ざかり、FIFAランキング(2023年12月21日発表)でも81位に沈み込んでいる。しかし、1976年当時はワールドカップに4大会連続出場(1962、66、70、74年でいずれもグループステージ敗退)という欧州の強豪の一角。1974年のワールドカップでも活躍した攻撃的MFで、キャプテンを務めるフリスト・ボネフというエースを擁していた。
 
 1月25日の第1戦でこのブルガリアを迎え撃った日本のメンバーは次の通り。GK:瀬田龍彦、DF:横谷政樹、川上信夫、清雲栄純、大仁邦彌、MF:落合弘、荒井公三(75分、藤島信雄)、吉村大志郎、FW:永井良和、釜本邦茂、渡辺三男(HT、松永章)。監督は長沼健で、ベンチには後に日本代表監督を務める森孝慈、西野朗らが控えていた。この年の3月に行なわれるモントリオールオリンピック・アジア地区予選に向けた強化試合だ。

 この一戦を見ようと国立競技場へ足を運んだ観客は2万人と発表された。収容能力の半分にも満たず、空席が目立つスタンドだった。冬枯れの芝生の上で12分に先制したのは日本。エースストライカーでもあるキャプテンの釜本が決めた。だが、ブルガリアはボネフの得点で42分に追い付くと、地力を発揮した後半に2点を加えて逆転に成功し、3-1と勝利した。3日後の第2戦(大阪・長居競技場)は日本が健闘。ボネフに先制点を許したが、松永が起死回生の同点ゴールをマークして1―1の引き分けに持ち込む。国立競技場に戻っての第3戦(2月1日)はブルガリアが3-0の快勝を収め、2勝1分けで日本ツアーを締めくくった。

 このブルガリア戦以後は、1978年11月にソ連代表が来日しているが、アジア勢を除けば対戦相手の主体はクラブチームだった。1992年に日本代表初の外国人指揮官となったハンス・オフト監督以降、アルゼンチンやブラジル、イタリアやドイツといった世界のサッカーをリードする国々も訪れるようになった。最近はサッカーカレンダーが整い過ぎて、欧州勢の来日が困難になっているとはいえ、まさに隔世の感がある。

<文中敬称略>

文●石川 聡

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