中村俊輔、中田英寿、本田圭佑...なぜ選手権から多くの“スター選手”が生まれた? 印象深いのは桝太一アナウンサーの言葉

2023年12月22日 森田将義

多彩な顔触れが国立の舞台で躍動

左から大迫(鹿児島城西)、本山(東福岡)、本田(星稜)、長友(東福岡)。選手権を経て、多くのスターが誕生してきた。(C)SOCCER DIGEST

 12月28日に開幕する第102回全国高校サッカー選手権まで、あと1週間を切った。

 選手権は、数多くのスター選手とともに大会の歴史を刻んできた。大会を機に脚光を浴び、日本代表まで駆け上がった選手も少なくない。

 Jリーグが創設された1993年度に日本一となった清水商高はGK川口能活(現、磐田GKコーチ)、DF田中誠(現、栃木監督)が活躍。当時、高校2年生だったMF中田英寿(ローマなどでプレー)も韮崎高の一員として、選手権のピッチを踏んでいる。

 1990年代は奈良育英高のGK楢﨑正剛(現、名古屋アシスタントGKコーチ)、富山一高のFW柳沢敦(現、鹿島ユース監督)、桐光学園高のMF中村俊輔(現、横浜FCコーチ)、大船渡高のMF小笠原満男(現、鹿島アカデミーTA)など日本サッカー界のレジェンドクラスの名前がずらりと並ぶ。

 この年代では、大雪の中でMF中田浩二(現、鹿島CRO)擁する帝京高と、MF本山雅志(現、鹿島アカデミースカウト)擁する東福岡高が激闘を繰り広げた1997年度の決勝を思い浮かべる人も多いだろう。

 2000年代に入るとJクラブのアカデミーが台頭し、優秀な人材の分散が進んだが、それでも多数のスター選手が大会から生まれた。
【PHOTO】"選手権"から日本代表へ羽ばたいたヒーローたち! 当時の秘蔵ショットで振り返る!
 国見高が4度目の日本一を果たした2000年度はFW大久保嘉人(C大阪などでプレー)が8得点を奪い、得点王に。以降は国見が4大会連続で決勝へと進み、DF徳永悠平(FC東京などでプレー)、FW平山相太(現、筑波大コーチ)など多彩な顔触れが国立の舞台で躍動した。

 以降も東福岡高のDF長友佑都(FC東京)、ミランなどで活躍した星稜高のMF本田圭佑、野洲高のMF乾貴士(清水)といったワールドカップメンバーが大会を彩ったが、今でも多くの人の記憶に鮮明に残っているのは2008年度だろうか。

 今年、神戸のJ1初制覇に貢献した鹿児島城西高のFW大迫勇也が1大会での最多得点記録を塗り替える10得点を叩き出した年だ。準々決勝で大迫に2得点を許した滝川二高の選手が試合後、「大迫、半端ないって」と涙ながら口にし、今でも彼の代名詞となっている。

 2010年度にプレーしたのは青森山田高のMF柴崎岳(鹿島)。翌年には、今大会の応援リーダーを務めるFW浅野拓磨(ボーフム/ドイツ)が史上初の毎試合ゴールを記録し、得点王として四日市中央工高を準優勝に導いた。
 

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