【指揮官コラム】カターレ富山監督 三浦泰年の『情熱地泰』|サッカー談義は熱く語らなければつまらない

2016年03月04日 サッカーダイジェスト編集部

熱くなってサッカー談義に花を咲かせていた僕と大島コーチだったが…。

今年1月のインタビューでの一枚。サッカーの話には熱くならざるを得ない。写真:佐藤 明(サッカーダイジェスト写真部)

 ホテルのカフェテラスで、チームの大島コーチとサッカーの話で熱くなっていた。気づいたら夜の23時40分だ。
 
 恐る恐るといったていで、他のお客さんから「すみません」と声を掛けられた。僕と大島コーチは、「あっ、すみません」と立ち上がりお辞儀をして、ふたりとも『また、やってしまった……』と一瞬、焦った。
 
 それは数日前にも、サウナでサッカーの話になり(これは練習試合後だった)、大きな声がサウナじゅうに響き渡って隣のお兄さんに注意されたことがあったからだ。
 
 我々サッカー人と言ったらいいのか、僕らふたりと言ったらいいのか? あるいは僕と言うのが正しいのか分からないが、ついついサッカーの話になると熱くなり、周りに関係のない人がいることも忘れて、興奮して大きな声で話し出してしまう。考えてみれば周りにいる人は本当にいい迷惑だ。
 
 所変われば、ブラジルでなら当たり前の話。そうでない人はブラジル国民ではない(笑)、と思われるほどだ。レストラン、バー、カフェ、職場、何処でも熱くサッカーを語る。
 
 知らない人が入ってきては、その話に賛同する。または反対の意見を言う。喧嘩になる。または肩を抱いて仲良くなる――。
 
 今のブラジルもそうなのかどうかは分からないが、昔、僕が80年代前半に留学していた頃はそうだった。
 
 ただ日本は違う。周囲に配慮もなく大きな声で話したら、人の迷惑だ。だからホテルで声を掛けられた時は焦った。
 
 声を掛けてきた彼は、静岡出身で僕のことが分かったらしい。そして話を聞いていたらしく――。
「僕はサッカーではなく野球でしたが、スポーツをやっていたので話がよく分かりました」と言うのだ。
 
 そして話は静岡の話となりお互いの実家も近いことが分かり、彼も喜び、僕も「声を掛けてくれてありがとう」と握手をして別れたのである。
 
 どこで誰に見られ、聞かれているか分からないものだが、サウナで注意されてから一転、次は静岡出身、スポーツという共通点からお互いを認め合える。面白いものだ。
 
 それもお互いに出身地とは異なる、富山という地で起きた出来事なのだから。
 

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