【新企画|今日の誕生日】3月3日/日本を魅了し、リードした2人の世界的名手――ジーコ&ストイコビッチ

2016年03月03日 サッカーダイジェストWeb編集部

到来した「サッカー王国」と「東欧のブラジル」のレジェンド。

選手として、監督としても日本サッカーに貢献したジーコとピクシー。 (C) Getty Images, SOCCER DIGEST

 突然ながら、その日に生まれたサッカーに関わる人々を取り上げ、そのキャリアを振り返るとともに、彼に関連するサッカー界の事象などにも話題を広げていく(こじつける?)新企画がスタート!
 
 人物のOB・現役、日本人・外国人、メジャー・マイナーを問わず、可能な限り日々更新していく当コーナー。第1回となる本日3月3日に生まれたのは、日本でもお馴染みどころか、日本サッカーが進化を果たすうえで大きな役割を担った2人の"恩人"である。
 
――◇――◇――
 
ジーコ:1953年3月3日生まれ ブラジル・リオデジャネイロ出身
ドラガン・ストイコビッチ:1965年3月3日生まれ ユーゴスラビア(現セルビア)・ニシュ出身
 
"サッカー王国"ブラジルの伝説的な背番号10、そして「東欧のブラジル」と呼ばれたユーゴスラビアのレジェンドである。
 
 選手時代に成し遂げた功績は、今さら細かく説明する必要もない。ジーコはフラメンゴを世界一に導き、ストイコビッチはレッドスターで「星人」に認定され、ファンから崇められる存在にまでなった。
 
 そしてジーコは83年、隆盛期のセリエAに参戦して1年目に得点ランキング2位につけるなど活躍し(1位はユベントスのミシェル・プラティニ)、ストイコビッチは90年、当時欧州で最も金も勢いもあったマルセイユの背番号10として迎え入れられた。
 
 ともに幼い頃から、草サッカーで抜群のテクニックを見せた天才。ジーコはひ弱な体躯だったが、フラメンゴのユース時代に筋力トレーニング、ホルモン注射、歯の矯正など徹底的な肉体改造を行ない、プロとして戦える身体を手に入れたことで、「サイボーグ」と呼ばれた。
 
 対して、赤ん坊の頃、なかなか立ち上がらず両親を心配させるも、ある日突然、立ち上がって走り出したという逸話もあるストイコビッチ。この天性のアスリート(?)は、少年時代からストイックに走り込み、90分を全力で戦える体力と強靭な精神力を手に入れた。
 
 本名のアルトゥール・アントゥネス・コインブラではなく、幼い頃から「やせぽっち」を意味する愛称で呼ばれたジーコ。かたやストイコビッチは、少年時代に好きだったアニメから「ピクシー」と呼ばれ、そのうち家族間でもそれは浸透していった。

次ページともにW杯で伝説を残すと同時に、W杯で大きな失望を味わう。

みんなにシェアする
Twitterで更新情報配信中

関連記事