「五輪で№1の右SBと言われたい」5年ぶりの大舞台を見据え、変わらぬスタンスで邁進。楽しむ気持ちも忘れずに【パリの灯は見えたか|vol.5 半田陸】

2023年11月29日 松尾祐希

プロ3年目、本格的にSBに

先日のU-22アルゼンチン戦では圧巻の3アシスト。久々の代表活動で健在ぶりをアピールした。写真:金子拓弥(サッカーダイジェスト写真部)

 初めての世界の舞台で、自信を得た一方で悔しさも味わった。

 2019年のU-17ワールドカップ。キャプテンとしてチームを牽引し、ラウンド16進出に貢献した。ただ、8強入りを懸けたメキシコ戦は怪我の影響でピッチに立てず。0-2で敗れた試合を、ベンチから見守るしかなかった。

 もう一度、あの舞台へ――次なる戦いに向け、走り出した。

 パリ五輪世代で期待のタレントをディープに掘り下げるインタビュー連載。第5回目は、ガンバ大阪の半田陸だ。後編となる本稿では、U-17W杯以降のキャリアを追う。

 CBが主戦場だった男は、右SBにポジションを変え、右肩上がりで成長。慣れ親しんだ山形を離れた今季はガンバ大阪に活躍の場を移し、今年3月には初めてA代表に招集された。

 だが7月に左腓骨骨幹部を骨折。戦線離脱を余儀なくされた。だが確かな手応えはある。来年4月に迫った、パリ五輪のアジア最終予選を兼ねるU-23アジアカップ、そして7月下旬に幕を開ける本大会。5年ぶりの大舞台を見据える半田は、今や遅しとその時を待っている。

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 2019年のU-17W杯を終え、半田は山形でプロサッカー選手として本格的にキャリアを歩み始めた。まだ高校生だった19年3月にプロ契約を結んでおり、20年シーズンは実質プロ2年目。1年目はリーグ戦5試合の出場に留まっていたが、20年は15試合に出場し、飛躍のきっかけを掴んだ。

 試合数を見れば、CBとしてプロの水に慣れたように見える。だが、この頃の半田は転機を迎えようとしていた。ポジションの問題だ。

 育成年代やプロ1年目まではCBでプレーする機会が多かった。持ち前の身体能力で勝負できる手応えはあった一方で、世界に目を向けた時に、最終ラインの真ん中でもっと自分が上手くなれるのか――自問自答をするなか、自分が最も活きる場所を模索し、プロ3年目の21年シーズンからSBで上を目ざす決断を下した。

「J2であれば、センターバックでも正直やれる。やられたシーンもそんなに多くなかった。でも、J1のフォワードや海外を目ざしたいと思った時に、自分を輝かせられるポジションはどこなのか。センターバックだと厳しいという考えがあり、サイドバックで勝負しようと決めた」

 さらなるステップアップを考え、サイドに主戦場を移した。良き指導者との出会いも、このコンバートを後押しした。

「元々、守備は身体能力でなんとかなっていたので、ある程度できたんですけど、攻撃面はずっと課題だった」という半田は、プロ2年目から指導を受けていた石丸清隆監督(現・愛媛監督)からビルドアップの基礎を学んでいた。

【PHOTO】IAIスタジアム日本平に集結し、声援を送り続けたU-22日本代表サポーターを特集!

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