長年在籍した鹿島から北九州に移籍した30代、海外挑戦を決断した40代。「本当にやり切った」と清々しい気持ちでセカンドキャリアに【本山雅志の生き様:後編】

2023年11月22日 元川悦子

100%で打ち込み、若手の模範に

「楽しいサッカー」を追い求め続けた本山。引退試合でも“魅せる”姿は変わらなかった。写真:福冨倖希

 国内随一の"20冠"を果たしている鹿島アントラーズ。2007~09年のリーグ3連覇の後も毎年のようにタイトルを取り続けた。大迫勇也(神戸)、柴崎岳、昌子源(ともに鹿島)ら有能な若手も入ってきて、常勝軍団の地位はしっかりと維持し続けた一方で、出番を減らした選手がいる。30代になった本山雅志だ。

 2010~15年の6シーズンで20試合以上出場したのは13年だけ。本山のポジションには遠藤康(仙台)や増田誓志、土居聖真(鹿島)ら後輩たちが台頭し、背番号10はベンチで見守る時間が長くなった。

 それでも、彼は「サッカーを楽しむ」というポリシーを貫き続けた。練習から明るい雰囲気を作り、若手に声をかけ、向上心を持って取り組むことの重要性を身を持って伝え続けた。

 2013年に大津高から入団した植田直通(鹿島)は、ベテランの本山の高度なプロ意識を目の当たりにした1人だ。
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「モトさんとはサブ組で一緒に練習することが多かったけど、試合に出ていなくても紅白戦からものすごく激しかったし、闘争心がすごく伝わってきましたね。1人で打開できる力も持っていたし、サッカーIQも圧倒的に高かった。

 僕は技術面だとかを要求されることも多くて大変だったけど、毎日声もかけてくれたし、向こうから挨拶してくれるような先輩だった。ああいう先輩になりたいなと心底、思いましたね」と、植田はしみじみと10年前を振り返る。

 鹿島では試合に出られなくなったベテランが、絶対に手を抜かずにチーム全体を鼓舞するというのが伝統になっているが、本山も奥野僚右や柳沢敦ら先人たちの立ち振る舞いを見ていたのだろう。

 30代半ばになっても100%の力でサッカーに取り組み、若手の模範となっていた。それは少しヤンチャだった東福岡高時代から考えると信じられない部分もあるが、それだけ人間的に成長したのだろう。

 だが、30代後半になって「このままではいけない」という思いも日に日に強まったはず。岩政大樹(鹿島監督)も「アントラーズは長年プレーした選手に出て行けとは言わない」と語っていたことがあるが、だからこそ、いつか必ず自らの身の振り方を考えなければいけなくなる。

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