【連載】霊長類ヒト科サポーター図鑑vol.7「平澤貴」(ベガルタ仙台サポーター)――「絶対に僕らをリオに連れていってくださいね、テグさん!」

2016年01月25日 宇都宮徹壱

「(店には)コーチ時代のテグさん(手倉森誠)もよく来てくださいましたよ」

サッカーバー『ヘイスタ』を始めたのは03年から。当時は、店の経営をしながら、アウェーにも毎試合行っていたという。写真:宇都宮徹壱

「負けないベガルタ」がみんなの心の拠り所になっていた
平澤貴(ベガルタ仙台サポーター)

 今季のベガルタは、失速という感じは否めませんでしたね。ファーストステージは7位でセカンドステージが14位でしたから。ファーストの最後に鳥栖に5-0で勝って「セカンドはこのままの勢いで行けるかな?」と思っていたら、怪我人と疲労の蓄積で足下パスばかりが増えて、なかなか3人目の動きが見られなかった。

 収穫ですか? あまり期待していなかったハモン・ロペスが機能したことと、レンタルバックしてきた奥埜博亮が活躍してくれたことですかね。奥埜がいなかったら、J1残留は厳しかったと思っています。
 
 日本リーグ時代、ときどき仙台でも試合をやっていたんですけど、Jリーグブームの波には乗りきれませんでしたね。(サッカーに夢中になった)きっかけは、98年のワールドカップです。(ベガルタの前身の)ブランメルの存在を知ったのもその頃でした。
 
 ただ、当時の私はいわゆる「海外厨」というやつで(苦笑)、どこかでJリーグを下に見ていたところがありました。2001年に先輩に連れられてスタンド観戦するうちに、ようやく国内サッカーの楽しさに目覚めたという感じです。その年の11月29日、京都でJ1昇格を目撃できたのも、今となってはいい思い出です。
 
 ここのお店(ヘイスタ)を始めたのは03年からです。その頃は私も若かったので、お店とサポーターの活動を両立できていて、ホームはもちろんアウェーにも毎試合行っていましたよ。
 
 ところが、お店を始めたとたんに勝てなくなってねえ(苦笑)。19試合ずっと勝てなかった。ようやく金沢でのガンバ戦で佐藤寿人のゴールで勝った時は、隣にいた人と抱き合いながら泣いて喜びましたよ。
 
 結局、その年にJ2に降格することになるんですけど、そのうちサポーターのたまり場になって、選手やスタッフも顔を出してくれるようになりました。コーチ時代のテグさん(手倉森誠)もよく来てくださいましたよ。
 

次ページ2011年の東日本大震災後は、仙台の健闘が心の支えに。

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